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代表のつぶやき

自然栽培のレジェンドと僕 その1「田神アニキとの出会い」

2018.07.27

2018年7月22日の日曜日、炎天下の中、茨城県田神さんの畑見学ツアーを実施しました。例年はカブや大根畑見学ツアーを行ってきましたが、今年はその前に田神さんの夏の代名詞トロトロ青ナスをその場で焼いて食べたらさぞ美味かろうということで、ギラギラ照りそそぐであろう日差しを覚悟して、畑でのバーベキュー企画を敢行したというわけです。

参加してくださった勇気?あるみなさんは、いつも口にしている田神さんの野菜はどんなところで、どのように育っているかを知りたくって参加しましたというお声が多く、まさに田神野菜愛好家の集いという雰囲気。

3000坪ほどの畑には、そろそろ終わりに近い今年も大豊作だった自根キューリと、これから全盛期を迎えるなす3種が勢いよく育っています。

通常、真夏の昼間は農家さんは朝の仕事を終え、お休みしている時間帯。そんな炎天下での畑見学ですから、熱中症が心配ではあるものの、目の前にぶら下がっているキューリをもいでの水分補給も田神さんの畑ならでは、です。

秋野菜の準備で野菜が植わっていない場所では、みなさん裸足になって飛び回っていましたが、当然表土はそれなりの温度でじっとたっていたら火傷しちゃうくらい。でもちょっと奥まで足を突っ込むとヒヤッとした土がなんとも心地よい。

「田神さーん、野菜に水は撒かないんですかー?」との問いに

潅水設備もねーからなー、ここは。水撒きは一切やらん」と田神さん

なるほど潅水設備のない田神さんの畑で、ここまで雨が降らない日が続いても、土はちゃんと必要な水分をキープしているからなすも萎えることなく勢いよく育っていることがよくわかります。水はけがよくて、水もちがよい土。まさにこんな土をいうんでしょうね。

さてその田神さんとナチュラル・ハーモニーとのおつきあいはもうかれこれ30年以上になります。そう、創業当初からのおつきあいなんです。

ご存知の方も多いと思いますが、私が自然栽培の世界を知ったのは18歳ころ。
大学を卒業して、一度は社会人として会社勤めもしたものの、どうしても自然栽培でいう「自然界における生命の仕組み」を体感したくて、「本当に肥料がなくとも野菜がそだつものなのか?」「本当に肥料がなければ虫や病気の被害にあわないのか?」確かめたくて脱サラし、自然栽培農家さんの元に馳せ参じ、研修すること1年間。

わずか1年ではあったものの、その自然栽培の畑と実践農家さんから学んだことは農業の面だけにとどまらず、人として生きるコツとでもいいましょうか、まさに自然と調和して生きる重要性を見出し、その場の調和がとれていれば、農産物が虫や病原菌やウイルスに侵されない事実を人間に応用して、私たち人類も病原菌やウイルスに侵されなくなる可能性があることを世の中に伝えたくって、その方法論としてその証明である自然栽培の農産物を媒体に自然栽培のダイナミズムを伝えたい。そんな思いが形となったのがナチュラル・ハーモニーです。

そして、野菜の引き売りが始まったわけです。

とはいえ、当時の自然栽培事情は惨憺たるもの。トラックの荷台にはほぼ研修先から分けてもらった数種しかないありさま。夏ともなると入荷される野菜はほとんどなく、夏の期間は止むを得ず野菜の販売は休業して、その間受け入れてくれる農家さんを探しては研修させていただく日々を送りながら、なんとかつなげてきた状態。

自然栽培の農産物だけでは、存続さえも危ういという危機的状況のなか、有機無農薬の野菜を取り入れようと決意し、生産者を探し、出会ったのが有機農業を長年続けてこられてきた田神さんとそのお仲間の生産者さんたちでした。

実は田神さんのお父さまは関東地方における「有機農法の父」と呼ばれており、知る人ぞ知るという存在でした。自然栽培はおろか有機栽培もままならぬなかで、消費者側に立った活動を精力的に注力され、今の有機ブームの先駆け的役割を果たした方です。そしてその活動に賛同した仲間たちが生産グループを作られていたのです。その中でひときわ目立っていたのがそのご子息である田神俊一さん。

農産物を分けてもらえないかと連絡を入れると、「まずは現場に来て、話を聞かせろやー」との返答。すぐさま現地に趣き、通された場所はとある飲食店の二階の大広間。たしか30名ほどの生産者さんが集まっていたと思います。

「お前の思いの丈を語れや」といきなりマイクを渡された時は正直ビクつきました。さらに「お前の話を聞いて一人でもこいつはダメだと判断されたら、この話はなかったことになるから、そのつもりでな。」と私にとっては大勢の前で自分の考えを表明する初めての体験でもあり、一大事でした。

私は夢中で自分が何をしたいのか、思っていることをしゃべりまくりました。気がつけば30分はしゃべっていたと思います。そして話終わった時に、全員の大きな拍手を持って、農産物を分けてくれることが決まったのでした。

話は受け入れてくれたものの、取引する量は個人宅配の量に毛が生えたレベル。今思うとよくそんな量で卸してくれたと思いますし、おまけに東京まで田神さんが直々に運搬してくれる。そして受け渡しは週3回、夜中の路上で行われました。携帯電話もない時代、おおよその時間を決めるものの1,2時間待つのは当たり前。そんな日々を送りながら、いつしか田神さんを兄貴のような存在と感じるようになりました。

このように田神さんたちと取引がはじまって、1年間を通じて農産物を仕入れることができるようになり、夏の長期休業はなくなり、とりあえず通年、野菜の販売が出来るようになったわけです。

そして数年ほど経ったある日、田神さんに自然栽培の話をする機会がやってきました。

田神さんたちが育てた野菜たちは、当初はたしかに美味しく、農薬に頼らなくても健全に育っていました。しかし、時代の変化か、それまでご自分たちで堆肥を集め、時間をかけて作っていた有機肥料から、他から購入するケースが見られるようになり、さらに施す肥料の量も増えて行くような流れに変わっていきました。そのせいもあってか品質にも変化が感じられ、虫や病気も増えて行く傾向を感じるようになりました。このままいくと「永続的に無農薬で栽培する」という彼らの志とは違う方向に流れていってしまうのではないかと直感し、覚悟を決めて田神さんに自然栽培の話をつたえることを決意したのでした。

自然栽培の話をする最初のとっかかりは種でした。

いずれ種の行き過ぎた改良による生命の倫理的問題やグローバル企業の種子の支配で農家の自立性がますます損なわれていく問題などを語り合い、やがてやってくるであろうその日が来る前に在来種の種を確保して、その種を自家採種して自立できる農業を具現化しましょうよと。

そして、一方で種を自家採種することでその土地になじみ、有機肥料に頼らなくとも元気に育ち、農薬も不要になる。まさに自家採種、無肥料、無農薬の可能性にチャレンジしてみましょうよと。

もともとチャレンジ精神旺盛の田神さん、この話に興味を抱いてくれて、とりあえず種の選定から始めてみようと決断してくれました。そして浜松で在来種の種を中心に取り扱っていた浜名農園さんを訪ね、白イボきゅうりを選定しました。

その白イボきゅうりが田神さんが自然栽培に取り組んでくださるきっかけとなった野菜でした。今から20数年前のことです。

さあ、これからが田神さんの自然栽培の歩みのはじまりです。その歩みについては数回に分けてお伝えしたいと思います。

 

続きは、また次回

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<次の記事>

自然栽培のレジェンドと僕 その2「300年の歴史の豊かな畑」
https://naturalharmony.co.jp/tsubuyaki22/

 

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