ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、100 年後の未来のため本当に持続可能な、社会のあり方について考えます。
100 年後の未来のため
本当に持続可能な社会のあり方
最近よく「持続可能な農業とは何か」という話題を取り上げた記事を見るようになりました。環境保全に基づいた農業のあり方について、世の中で関心が高まるのはとても良いことだと思いますが、必ず出る反対意見として、「自然栽培や有機栽培では世界の人口を賄うことができないから、議論自体が非現実的である」という話をよく耳にします。
今回はこの話題を中心にして、私たちが目指している理想の世界とは、またそこに至るために何が必要かなどを書いてみたいと思います。もちろんこれから書く事柄は、あくまでも一意見であり、選択肢の一つとして理解していただければありがたいです。
前述した「自然栽培や有機栽培で、世界の人口を賄うことができるのか?」という疑問や意見について、例えば「自然栽培は是か非か」などという極端な議論も見受けられます。世界人口を支えられなければ、その農業自体を認めないという意見もありますが、結論から言うとこれに対して明確に回答することはできません。というのも世界人口を賄うために必要とされる条件や要素があまりにも多岐にわたるため、数字を根拠としたデータなどは存在していないからです。しかし、社会全体の仕組みを俯瞰的に見ていくことで、ある方向性を指し示すことはできると考えています。
確かに自然栽培は労働集約的、つまり人間の労力に頼り、収穫量が慣行栽培(農薬・肥料を使う一般的な栽培法)と比較しても低いことは否定できません。しかし一方で、食料生産全体に視野を広げれば、いま世界中で先進国中心に三分の一の食品が廃棄されているとされ、日本だけで見ても、まだ食べられる食品ロスだけで年間640万トンあることから、世界で援助が必要とされる食料の倍の量が廃棄されています。
これらの問題は、食料の流通の仕組みに問題があるため、慣行栽培に直接的に原因があるわけではありませんが、市場流通の仕組みから見れば、生産効率を上げ、慣行栽培があらゆる面で市場経済の仕組みに合せた農業になってしまったことで、結果的に食品ロスになることが前提で成り立ってきたと言えないでしょうか。そのロスを少しでも解消することができれば、栄養不足で苦しむ八億人におよぶ人々の栄養状態の改善や、多くのエネルギー・水資源の節約にも繋がると考えています。
持続可能な農業の定義が「環境負荷を最小限に抑えること」であるとするならば、自然栽培は最も適した農業形式の一つと言えるでしょう。ただし、世界に目を向ければ、農業には厳しい環境や条件のある地域もあり、すべてにおいて自然栽培が良しとされるのではなく、また生産効率を上げることが悪なのでもなく、その地域の状況に応じた食料生産のあり方があって良いと思います。
その上で、「100年後の未来のため」というサブタイトルの通り、長期的な視点で臨むことが大切だと思っています。なぜかと言うと、現在の社会は、このまま進めば恐らく100年後の未来の姿を想像することすら難しいと言えます。それは、環境問題はもちろんですが、それ以上に経済至上主義とともに貨幣制度の仕組みに限界が来る可能性があるということです。詳細はここでは省きますが、簡単に言えば膨大に膨れ上がった貨幣量に見合う需要も資源も地球には存在しないということです。これは冷静に考えれば分かることで、そうであれば、その経済の仕組みから変えることを前提にして、本当に持続できる社会を作ることです。
そこで初めて自然栽培も生かせる社会が実現できるでしょう。むしろ世の中の仕組みを自然栽培の歩調に合わせるべき、といっても言い過ぎではないと思います。土壌の健全性を保ち、生態系のバランスや生物多様性も守ることになります。また、小規模な農家であっても支援する地域住民などと繋がり、地域コミュニティを構築することで、地域の経済的繁栄にも貢献できることです。それぞれの地域固有の風土を生かした生活圏を作ることで、結果的に食や農だけにとどまらず、人々の生活全体が豊かになることができると考えています。
ここで書いたことは決して簡単な道のりではないですが、100年後の未来のための一つのビジョンを描いています。それは、持続可能な社会に向けて努力するというレベルではなく、健全な地球を残すための人類の義務であると思っています。
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