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生産者

茨城県鹿嶋市 石橋 琢朗さん「土からのものづくり」

2019.05.19

石橋 啄朗さん…1979年神奈川県生まれ。奥さまと娘さん2人の4人家族。
大学を卒業後、鹿嶋市に移住して農業を始める。クラシックやジャズが好きで、今ほしいものは静かに音楽を聴いて本を読める場所。5年くらいで実現させたいと妄想している。


鹿島神宮からほど近い高台に石橋さんの畑がある。畑を借りている地主さんのご先祖が1600年代の氏子として神宮に記録が残っているそうだ。少なくとも400年以上前から人がここに住み、土地を耕し、守ってきたのだろう。

ひらひらと蝶が舞う畑に、4月まで出荷があったこぶ高菜・のらぼう菜・からし菜が育っていた。数日間の春めいた暖かさにとうが立ち、黄色い花が咲きほこっていた。

こぶ高菜。聞き慣れない名前だが、がっちりした肉厚の葉とぷっくり膨らんだ茎が特徴の野菜だ。1940年代に日本で栽培が始まり、普及した。しかし収穫高が少なく、交雑性が高いなど大量栽培に向かない品種だったため、次第に栽培面積が減り、いまではあまり見ることがない。

石橋さんがこぶ高菜を栽培するようになったきっかけは、ふと目にしたテレビ番組だったそうだ。
「戦後満州から引き揚げてくる際、種を持ち帰った人が育種し、地域に伝えたっていう話をしていて、種のロマンに惹かれてかっこいいなって思いました」。
育ててみるととても美味しく、気に入って栽培を続けている。見た目の隆々しさとは裏腹に、火を通すと葉や茎は柔らかく、甘みと旨みが口に広がる。
「美味しいから育てていて、食べた人も味に納得してくれたら『そうか、わかってくれたか~!』と嬉しいじゃないですか」と笑顔で語った。珍しい野菜も多く栽培しており、訪問時はケール・パクチー・チコリーなどが植えられていた。

石橋さんは自家採種を積極的に行っている。こぶ高菜は種が途切れてしまった時期もあるが、種採りを始めて7年ほど経つ。一昨年に育てた高菜にはこぶがつかなかった。何が原因なのかはわからないが、他の野菜でも自家採種によって野生的な特性が出てきたり、姿・形が違うものが出てきたりすることもあるそうだ。

安定した収穫に繋げるためにも、今は購入種と半々で栽培を行っている。「難しいけど、種を採ることは楽しいです」という石橋さん。次世代に種を残していきたいという気持ちも大きい。今ここにある種も、誰かが採り繋いできたから存在しているという歴史的な魅力を感じるという。

自然栽培を始めて15年になる石橋さん。大学では環境学を専攻し、農薬や肥料を大量に使用する現代農業が環境を汚染していることを知った。自分たちが食べているものが環境汚染の直接の原因になっているという事実に衝撃を受け、農業という仕事を強く意識した。子どもの頃から生き物を育てることが好きだったこと、また都会ではなく田舎の暮らしに憧れがあったことも、農業に興味が湧いたきっかけだったという。「消費するだけの文化に限界というか、楽しさを感じなかったんです。生み出したり育てたり作ったりすることが好きなので。でも誰かが船を貸してくれれば漁師にもなってみたかったですね。マタギとかも楽しそうだな」

農家を志した大学時代に、近くの有機栽培農家を訪れた。大規模営農で、その地域一帯の豚舎や鶏舎から家畜の糞を一手に集めて、何トンもの肥料を畑に入れていた。そんなやり方を見て、真似できないと感じたという。「ショベルカーで家の高さくらいまで糞を積んでいたんですよ。この辺で有機農業をやろうかなって思ったら、肥料の奪い合いになっちゃいますよね。大きな機械もないし新参者は入っていけないなって」

地元の横浜を離れ、縁があって借りることができたのは、今住んでいる鹿嶋市の畑。夢に見た田舎暮らしの実現だったが、最初に借りた畑は耕作放棄地で、木や篠竹がうっそうとしている場所だった。
その頃トラクターはもちろん、耕運機すらもなく、草刈機で草を刈ってはひたすらスコップと鍬で耕して少しずつ畑にしていった。「そんなことをやってたら肥料をつくる時間なんてなくて、種を蒔く時期になっちゃったんですよね。それで仕方なく種をまいてみた。そしたらそれなりの量ができて。今考えてみれば残肥で育っていたんですが。当時は肥料もやらないでできるんだったら、それがいいかなって」

そんな経験から、図書館に残っている古い文献を参考に、農業の歴史を振り返ってみた。農薬や化学肥料が出てくるよりも前の人たちがやっていたことを想像し、工夫しながら取り組んでいたという。
迷いがなかったわけではない。自分のやり方でこれからも野菜を作り続けていくことができるのかわからないままだった。そのうち、肥料を使わないこの方法が「自然栽培」と呼ばれるものだということがわかり、他にも同じような方法の農業で生計を立てている人がいることを知り、安心して取り組むことができるようになった。出荷先も少しずつ増えていった。

今こぶ高菜が育っている畑も、借りてから数年は連続して病気が出た。「葉物とか豆とか黄色くなっちゃって。養分がなくて枯れるっていうよりも病的に枯れる感じがして、なんか変だなって思いました」。栽培4年目にはこぶ高菜の葉がレース状に穴が空くほど、虫が大量に発生した。大量に投入された農薬が病気の原因だろうと想像できた。この畑で作物ができるようになるのか不安に思うほど、うまくいかない年が続いた。

畑を返すという選択肢もあったのではないか。「それは考えましたね。でもここで畑を見捨てると、決まったところでしか自然栽培ができないことになると思って」。作物ができない畑にも向かい続ける石橋さんに、自然栽培を続けていく意志と、現実を受け止める度量が見えた。

畑にソルゴーやカラスノエンドウという植物を植えたり、作物残渣や生えた草を戻して土づくりに取り組んだ。そのおかげで、今でも少し虫は出るものの、安定して作物が育てられる畑になった。
「この畑ができるようになって、条件の悪い土も戻していけるという自信になりました。今年はよくできましたね」と安堵した表情を浮かべた。

ビニールのトンネルの中には、芽を出したばかりの加工用の夏野菜があった。様々な種類のトマトに、ブート・ジョロキアという北インド原産の珍しい唐辛子・ホーリーバジルなどのハーブの苗が綺麗に並んでいる。

今年、納屋を改造して作った加工所が完成した。自分たちで床や壁のタイルを貼ったり、ドアを取り付けたりした場所で何を作るか考える時間が楽しい。訪問した時は、こぶ高菜やケールを乾燥させて野菜チップスを作っていた。就農してから自家採種を続けているトマトは、生食よりもドライトマトにした方が風味が引き出されるそうだ。「すごい美味しくできたんですよ」と嬉しそうに話す。ブート・ジョロキアを使った豆板醤やゆず胡椒を販売してみたいと夢は広がる。

野菜が美味しく育った時、きっとこの味をわかってくれる人がいると信じ続けてきた。取り組みを重ねた分、期待に応えてくれる野菜たちの味を知らずに死ぬのはもったいない。暮らしそのものを謳歌する石橋さんの笑顔につられ心が躍る、暖かな春の一日だった。


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