こんにちは。イシマンです。
前号をアップしたのが?いつだっけ?ってほどにサボってしまいました。
三月は家族全員で海外旅行をしていたもので、セレブを大満喫……。ではございません。
家族全員、ド派手に風邪をひいておりました。
はじまりは長男(中2)から、次男(小1)へ、その後イシマン(44歳)、最後に奥さま(自称17歳)へと体調不良の連鎖。
我が家では恒例行事のように、春は毒だしの季節です。
どうしたもんかな~と思っていると、長男が「どこでもイイから医者に行きたい…」と。
彼の場合は医者に診てもらったというコトが結構重要で、ある種のプラセボ的な偽薬ならぬ偽医者でも診てもらうことに意義があるとイシマンは感じている。
あ。決して西洋医学をディスっているわけではなく。代替医療と呼ばれるジャンルをお勧めしたいわけでもなく。医者にかかるな!と言いたい文章でもないので、そこをご理解のうえで。。。
やむなく近所の小児科医を見つけ、当日予約もクリアして、予約時間に着くも診てもらえたのは30分後。予約ってなんやねんっ!ってツッコミはほどほどに、先生に現在の症状を伝えた。
症状とは別に、長男は自家中毒になることがこれまでに何度かあったのでそれも伝えた。
自家中毒は子供がなりやすく、簡単に言うと外的要因とは別に、自分の体内でおきているセルフ中毒。体内である種の毒を生成して、自分で具合が悪くなるコトを繰り返してしまう。嘔吐と元気な状態を無限ループしがち。らしい。
そんなコトを医者に伝えると、即答。
「あ~。これは自家中毒ではありませんね。自家中毒は一般的に熱は上がりませんしね~」
分かっちゃいたが、結構バッサリきたので、少しばかりムッとした。
一般、平均、普通。これらを基準にするのは確かに無難である。
しかしだ、昨日の今日で思うことを伝えたわけではない。14年もみてきた子供のクセというか性質を伝えているにも関わらずだ。
仮にだ。仮に。
イシマンが人には言えない性癖を持っていたとしよう。人には言えない。
そんなイシマンが繁華街を歩いているとキャッチの兄ちゃんが、「あなたにオススメのお店があるんです!」なんて声をかけてきたとしよう。仮にだ。
「あんたに私の何が解かるんだぁ!私の癖を知ってのコトか!?」
まぁ。話を戻しますが、医者は聴診器もそこそこに、それでは検査しますね~と、コロナ&インフル&溶連菌の検査をすることに話を持っていく。
検査の段取りはとても簡単。長めの綿棒らしきもので鼻の粘膜と、のどの粘膜をとるだけ。
長男も次男も痛がることもなく手際の良い医者と看護師たちである。相当数やり慣れているんだろうと察する。
10分ほど待つと再度、検診室へ呼ばれ結果発表!
長男氏=インフル陽性
次男氏=溶連菌のギ陽性
ギ? 陽性?
これはヤヤコシイ。この言葉には二つの意味があるので「ギ」と表記した。
医者が意図した意味はきっと「疑陽性」だろう。要は疑いのある陽性である。
しかし、「偽陽性」も言葉として存在している、偽物(ニセモノ)の陽性。
検査の簡易さから想像するに、一定量のウィルスや菌が見受けられると黒となり、未満でも出現が認められれば「疑い」つまりグレーが生まれる。
その後、話しはトントン拍子に薬の処方へと移る。
医者:「毎食後ABを一錠、お熱が出ればCを、後これはDですが副作用として児童の異常行動が起きる場合があります」
イシ:「はぁ。」
医者:「何かご質問がございましたら」
イシ:「長男は食べても飲んでも、もどしてしまう現状ですがいつ飲ませましょうか?」(食べれない状況は事前にお伝え済み)
医者:「あ、そうですね。食事なくとも飲ませていただいて大丈夫ですよ」
イシ:「水でも、もどしちゃうんですけど」(飲めていない状況は事前にお伝え済み)
医者:「それならゼリー状の水分補給が下の調剤薬局にありますので使ってみてください」
イシ:「異常行動ってなんすかね?」
医者:「意思とは別に動き回ったりすることも報告されていますので、投薬される際は見守っていてくださいね~」
イシ:「はぁ。」
薬の説明ばかりで、養生の仕方や、過ごし方、食事や快方へ向かうアドバイスなどは一切ない。
聞かないと答えない。昔の医者なら「あったかくして寝て、水分はポカリがイイよ、調子が良くなった重湯からはじめてね」とかあったような気がする。
そんなもんかと、思いながらもそれなりの質問はしてみた。
と、そんなこんなのやり取りをした訳だが、処方されたのはこんな感じ ↓↓
異常行動をするリスクのある薬を処方する側もアレだが、コレを飲ませる勇気も大したもんだと感じるのは私だけだろうか?
『毒にも薬にもならない』なんて、ことわざがある。人畜無害、ためにならない、そんな意味合いだろう。
『毒薬転じて薬となる』って、のもある。はじめは害として認識されていたものが、一変して有益なものになることをいう。
同じ物でも、使い方によっては、毒にも薬にもなることのたとえ。
副作用とは上記の逆を言うのだろう。いわば。
『薬転じて毒となる』
良かれと思って与えても、コトと場合によっては悪しとなることもある。
世には数多の病があるゆえに、薬のおかげで救われる命があることは重々承知している。
しかし、そのどれも、飲むか否かは自分の判断である。
十分に理解したうえで、リスクとメリットのバランスを考えたうえで。
と、医者でもない イシマン=ギ・妖精 がお届けしました。
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