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我、四十にして主夫となる

わたしのハーモニックライフ

2025.01.01

あけましておめでとうございます。
ひさかたぶりのイシマンです。

主夫業をやりながらテキストをかいたり包丁を研いだりしながら夜露をしのいでいるのですが、昨年よりナチュラル・ハーモニーさんでもブログ記事を書かせていただいてます。不定期な掲載にもかかわらずお付き合いいただけていることに感謝でございます。

今号は、改めて「ハーモニックライフ」について、自分なりに考えてみた。


以下引用-

「ハーモニックライフ」とは、自分も自然の一部と認識し、自然の流れや変化に身をゆだねて順応しながら、なるべく自然な食べ物、衣服、住まいのアイテムを暮らしに取り入れ、自分の感覚を大切にする、自然と調和した暮らしのあり方。


●新しい暮らし「ハーモニックライフ」
https://naturalharmony.co.jp/tumugi/harmonic_lifestyle/



現代は大人も子供も忙しい。

統計論で一括りにするつもりはないが、大人になると家事・育児・仕事・介護・老後のことと何かとご多忙である。
子供だって学校・塾・習い事・部活など。
夜の21時過ぎに、小学生が街を一人で歩いていても違和感のない時代。
ストレスだって星の数だよ

忙しさを楽しさに変えられる人もいる。
忙しさをストレスに感じる人もいる。

不思議だよね?
人によってとらえ方が真逆になるんだ。

この忙しさの中では「人間も自然の一部」なんて考えに及ぶのはとても難しい社会構造である。

ましてや自分の感覚が、本来の自分のものなのか?
社会に迎合するために作り上げられたものなのか?
かくいうイシマン自身の感覚だって危ういものだ。

楽しい時間はあっという間。
つまらない時間はすごく長い。

ウンウンとうなずく人も多いのではないだろうか?

「数学の授業って長げぇ~!」と思う子もいる。
「自分が歌っている時間は短いのに、誰かが歌っている時間は長い」と感じるカラオケもあるだろう。

この時間の感じ方の変化に明確な解を人類はまだ突き止めていないらしい。

しかし、いくつかの仮説がある。

人には体内時計と呼ばれるものがある。
朝のお日様を浴びることで日々リセットしていると呼ばれるアレだ。
楽しいことを感じると脳はドーパミンと呼ばれる物質をだすのだが、これが体内時計を狂わせることで時間を早く感じてしまうとか。

このさき起きる出来事に関しても、人よって時間の感じ方が異なるらしい。

例えば週末のデートが待ち遠しく感じる人がいたとしたら、その時(デートまでの時間)はすごく遠くに感じ、そしてその時間(デート中)はあっという間に終わってしまう。

逆に月曜の会議に憂鬱を感じている人は、月曜はあっという間に訪れて、すごく長い会議を想像するらしい。

経験に左右される

雨が降ったら憂鬱になって、晴れると気分がイイ。
皆がこの感情を抱くわけではないが、天候ひとつで感情が左右されるのは脳が発達してきた生物特有のものだろう。

経験を重ねることで発達する脳。
繰り返したくない過去の経験を引き出して、その時、その瞬間を評価して、楽しい、苦しい、などの感情を呼び起こす。

ある新聞の記事で見かけた。

大人になるにつれて自己肯定感が下がっていくと。
しかも、一度下がった自己肯定感はなかなか上げることが難しいと。
なんとも悲しい文面である。

子供は失敗も恐れずにチャレンジし続ける。
失敗したって後ろには守ってくれる大人たちがいる。

「経験が邪魔をする」そんな歌詞があった。

現代社会では経験をポジティブな可能性に使うよりも、ネガティブにならないように利用されやすい社会構造になっている。

成功するために選択するのではなく、失敗しないように選択する。

「失敗は成功の種」ではなく「失敗は失敗しないための種」

決して悪いことではない。

しかし、人間はそれだけでは生きていない。
それだけでは、自己肯定感がどんどん下がってしまう。

どんな言葉を選んでも好き嫌いはある内容だが、つまりあれだ。

個人における「失敗しない選択」は「楽しいことをあきらめる選択」になりうるということ。

「失ってもいないし、敗れてもいない」

イシマンが現段階でとらえているハーモニックライフのあり方は。

「失敗」という概念をなくすことである。
「成功」や「チャレンジ」を狙う必要はない。

「失敗」を失くしてしまうだけ。

「失敗」ってのは、基本的にあるようでない。
「失敗」と決めるのは自分や第三者が作り上げた概念であって、事象そのものを表す言葉ではない。
「失敗」は経験にラベルを張る行為であり、この「失敗」インデックスを元に今の自分の行動を決める基準になっている。

主夫のイシマンだが、時折、軒先をお借りして包丁を研ぐ仕事をしたりする。
おしゃれの巣窟、高級の代名詞「銀座」の道端で包丁を研ぐこともある。
四十も半ばのオジサンが道端に座って4時間ほど包丁を研ぐ。

ある日の収支はコレ

往復の電車賃¥1100
コーヒー代¥360
売上¥4800
差引+¥3340
時給にして ¥835/時間

これだけ聞くと、現代社会では一般的に「失敗」であり「負け組」だろう。
今すぐ辞めて、アルバイトでも探した方が経済的にはポジティブな選択である。

一期一会の道行く人に無差別に話しかけるイシマン。
ふと立ち止まる子供たちと会話するイシマン。
外国人観光客に「ワオぉ」と言われる。
おばあちゃまが「寒いねぇ~」と声をかけてくれる。

たのしいのだ。これが。

無責任な表現かもしれないが「失敗」という概念をなくすと「心配」がほとんどなくなる。
「失敗」という概念があることでヒトは「忙しく」していないと「不安」になる。
「失敗」と断定する組織はクソくらえだ。
ココロが病むまえに辞めちまえ!
一足飛びに「人間」が「自然」の一部ととらえるのは難しいかもしれない。
しかし、自然界に「失敗」はない。
災害で悲しむ人が多くいるのは当たり前のことだが、災害や天候不順は自然界の引き起こした「失敗」ではない。

「心のありようで、人生は楽にも苦にもなりうる」

ワタシやあなたがココロを痛めてまで、楽しくないことをする必要はない。
自分のココロが心から楽しんでいるか?
ココロは無理していないか?

自然とは:
 1.人手を加えない、物のありのままの状態・成行き。
 2.この世のあらゆる物の総称。

ココロが、あるがまま(自然)であるか。

社会に属している以上、無理してでも我慢してでも稼がないと生きていけないでしょ!なんて考えがあることは否定しないし、否定することはできない。

しかし

往々にして

やってみたことがない人はそう言う。

やってみないと、わからないコトはたくさんある。

少なくともイシマンなりにやってみている。

自分なりの調和を。

今のところ前半よりも、苦の少ない人生の後半だなぁと思っている。

誰かの評価ではなく、あくまで自己採点だけど。

大切な経験を、ココロがあるがままで居られる選択へ。

そして

自分の感覚を大切にする前に

その感覚が鈍っているのであれば

本来の感覚を取り戻すために

自己採点 甘々の

新年を。

かしこ

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