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ライフジャーナル(大類久隆)

人の価値について考える 『自己肯定感』こそいま人類が向き合うべき課題【前編】

2018.12.06

ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は社会的な話題から少し離れて、心の問題について書いてみたいと思います。
とはいえまったく無関係ではなく、むしろ見方を変えると最も社会的に重要な話題かもしれません。


社会が抱えている問題は、実はすべてここに集約されるのかもしれない――。

ニュースでパワーハラスメントや幼児虐待、人権問題・人種差別問題・動機の見えない凄惨な殺人事件など、見ていてやりきれない気持ちになるような事件が多く取り上げられています。

ニュース番組や週刊誌などでもその内容や経緯を検証して細かく伝えていることがありますが、事件が起こった背景や人間関係などが分かっても、なぜそれが起きたかという本質的な検証があまりにも乏しく、どうしたらそれらを防ぐことができるのかという深い議論まで至らないのが、いつも残念に思っています。しかも共通しているのは、加害者といわれる人物に対して、利己的であまりにも短絡的な行動の結果であるという結論で終わってしまい、最終的に厳罰が必要であるという結論に行き着きます。

ちなみに凶悪な犯罪に対して、刑を厳罰化していくことが犯罪の抑止につながるという議論が必ず出ます。確かに一時的に効果はあるかもしれません。しかし根本的な解決であるかとなると疑問が残ります。犯罪そのものをなくす、犯人をつくらないという観点はなく、刑を厳罰化するほどむしろ無差別殺人などの凶悪犯罪は逆に増えるのではないかと考えています。

議員の問題行動の要因

ちょうど一年ほど前でしょうか。衆議院議員が秘書に暴言を放ち、暴力を働いたとして事件になったことがありました。その時の暴言を吐いている声が録音されていたため、毎日のようにニュースやワイドショーで放送されていましたが、普段の姿と比較して、そのあまりの豹変ぶりに驚いた人も多かったのではないでしょうか。この事件については、様々なメディアで取り上げられ、心理学の専門家といわれる人も交えて意見がなされていました。

「エリート意識を履き違えている」「単なるサディストだ」「人格障害者である」と、だいたいこのような意見が目立ち、それに同じように同調するコメントがなされていた気がします。

その後の本人が行った釈明の記者会見では、涙ながらに反省する姿が印象的でしたが、インタビューする記者もみな同じような質問に終止していたと思います。「あなたは常軌を逸しているのですよ」と散々な言われ方をされていました。「わざとらしい」「演技にしか見えない」「計算通りではないか」など、かなり厳しい評価を下されていました。実は私はこの会見を見ていて女性議員のある一言に注目しました。

それは「私はもともと自分にものすごく自信がなくてとても自己肯定感が低いのです」という一言でした。それを聞いたとき、明らかに何らかのカウンセリングを受けていると直感しました。

普通であれば国会議員が自分の犯した過ちをお詫びする会見で、幼少期からの生い立ちを話すことなど珍しいと思うのですが、言い訳としてではなく自身が犯してしまった言動について、自身の性格をかなり客観的に見ているのが理解できました。しかし誰もそのコメントに反応して質問する人はいなかったようでした。

このコメントを聞いて、確かに自己肯定感の低い人が陥る典型的な状況だと思いました。この議員は超の付くほどのエリートコースを歩んでおり、誰から見ても完璧な学歴と経歴を持っているという印象です。しかし内面はまったく違ったということです。常に自信がなく、その気持ちを振り払うためにもがむしゃらに働いてきたということなのでしょう。そして、自分の評価を上げることに異常に執着して、落ちることには尋常ではない恐怖を感じる。今回のケースは秘書が評価を落とす原因になったため、というかそう思い込んだため、秘書に対して猛烈に怒りをぶつけたということです。つまりこの怒りというのは間違いなく恐怖の裏返しなのです。

「自己肯定感」とは何なのか?

さて、ここでいう自己肯定感とは何なのかですが、「自己評価」や「自己効力感」とも言い換えることができます。簡単にいえば「自分という存在を自分自身がしっかり認めているか」ということです。

よく「自信があること」という説明がなされることがあります。確かに結果としてはその通りなのですが、何の根拠もなく自信があるというのは言わば自信過剰であって、むしろ自己肯定感の低さの裏返しだともいえます。

そうではなく、他人と比較することなく自分の存在価値を認めて、満足感をもって人生を送ることができる状態といえるでしょう。家族や他人、取り巻く環境によって必要以上に振り回されることなく、自分らしい人生を前向きに歩める心の状態ということです。

話を戻しますが、この議員はおそらく幼少期から両親に常に優秀であることを求められ、それ以外は認めないというような極端な教育を受けてきたのでしょう。そしてこの場合、よほど両親の満足のゆく結果を得られないと褒められるという経験がほとんどなかったのではないかと予想します。そのため、常に頑張り続けないと自分は両親に認めてもらえないという意識が過剰になり、成長とともに社会からも認められないといけないと考えるようになったのではないでしょうか。

この議員は、そもそもの素質として優秀で意思も強かったのでしょう。だからここまでやり通してしまったのです。もしそうでなかった場合は精神のバランスを崩してしまうこともあり得たでしょう。

それほど人にとって幼少期の両親との関係性は大切なのです。熱心であること自体は悪いことはないのですが、親の期待すること以外を認めない状況が怖いのです。幼少期の心の中に芽生えてきた自我や好奇心というものを無視して、自然な欲求や行動を親の都合のみで抑圧し続けることが、将来的に子供の人生を大きく狂わせてしまうことにつながります。 議員の例はほんの一例ですが、この状況がさらにネガティブなものであった場合、つまり虐待やそれに近い環境、また逆にまったくの無関心であったときは言うまでもなく子供の将来に危機的状況をつくりだすことになります。それは「自尊心」を育むことができないということです。

つまり「自分という存在を何の条件もなく認める」という、人間にとって最も基本的な感情を育むことができず、将来的に自身の感情や気持ちを素直に表現することができなくなります。

さらに自尊心が欠如したままであるということは、自分の存在がつねに他者の意見や評価によって成り立つことになります。外部の環境によって感情を振り回されることになり、その評価が気になっていつも不安や恐怖が付きまといます。それが自己肯定感の低い状態を作り出す主な要因でもあるということです。

自己肯定感が低いことから起こる感情

今回のテーマは人の価値です。「自己肯定感こそいま人類が向き合うべき課題」とずいぶん壮大なサブタイトルを付けましたが、様々な社会問題を解決するにあたり自己肯定感がとても重要なファクターになると感じています。

とは言っても抽象的で現実味を感じないかもしれませんが、実際自己肯定感が低いことでさらに派生する複雑な感情がたくさんあります。例えば「他者を心から認めることができない、逆に極端に依存する」「他者に批判的になりがち、逆に過剰なまでに心酔する」「些細なことで激高することがある、逆に無感動・無関心である」「過剰なほど人生を全力で走り続けている、逆に常に保身的でリスクを侵さない」「とてもプライドが高い、逆に自信が持てず卑屈なほど謙虚である」「異常なほど支配的である、逆にいつも隷属的である」 

ほんの一例ですが、思いつくだけでもこれだけの感情があり得ます。共通しているのは、両極端な感情が存在すること。そして感情の元になっている最も心の奥深くに根付くものが「不安」と「怒り」なのです。幼少期から長い間、心理的に抑圧されたことで蓄積した不安や怒りが消えずに心の奥底に残っているため、それが存在することすら本人も気づいていないことが多いのです。この感情がある限り、年齢を経て生活環境が変わったとしても、あらゆる場面で前述したような感情が反射的に現れる可能性があるということです。 

皆さんの身近にも思い当たる出来事があるのではないでしょうか。

> 続きはこちら 「人の価値について考える『自己肯定感』こそいま人類が向き合うべき課題」【後編】


【参考資料】
『魂の殺人』 アリス・ミラー著 新曜社
『自己評価の心理学』 クリストフ・アンドレ/フランソワ・ルロール著 紀伊國屋書店
『世界政治裏側の真実』 副島 隆彦/佐藤 優著  日本文芸社


大類 久隆
ナチュラル・ハーモニーの商品部担当。
とにかく何でも調べるのが大好きです。
自称、社内一の食品オタク。
食べることも忘れて日夜奮闘中……?


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