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ライフジャーナル(大類久隆)

日本の漁業はなぜ衰退したのか?

2026.04.04

ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、なぜ日本の近海で魚が獲れなくなってしまったのか?という問題について、メディアでもあまり語られない、主な原因について浮き彫りにしてみます。


 

日本の漁業はなぜ衰退したのか?

気候変動の陰に隠れた乱獲問題
未来の海を守るための処方箋

近年は、秋の風物詩であるサンマが手の届かない高級魚となり、大衆魚の代表格だったサバやスルメイカも記録的な不漁が続いています。私たちの食卓から、国産の魚が静かに、しかし確実に消えつつあります。なぜ、日本の近海で魚が獲れなくなってしまったのか?ニュースを見れば、「地球温暖化による海水温の上昇」や「外国の大型漁船による乱獲」が原因として報じられています。確かにそれらも要因の一部ではあるのですが、それは「都合の良い言い訳」かもしれません。

水産庁のデータを見ると、日本の漁業生産量は1984年の約1,282万トンをピークに右肩下がりを続け、2023年には約383万トンと、実に3分の1以下にまで激減しています。一方で、気候変動は地球全体で起きているにもかかわらず、世界の漁業生産量は増加し続けています。この矛盾について、長年水産ビジネスの最前線に立ち続けてきた東京海洋大学特任教授の片野歩氏は、著書やメディアを通じて一つの「不都合な真実」を突きつけています。それは、日本の漁業を衰退させている主な原因は、気候変動でも他国の責任でもなく、「計画性のない日本自身の乱獲(獲りすぎ)」にあるという指摘です。

今回は、メディアがあまり語りたがらない「日本の漁業の構造的な問題」にメスを入れ、世界が取り組む持続可能な漁業の姿から、私たちの海を救うための処方箋を探っていきたいと思います。そこには農業が抱える、制度上の共通した根深い問題が見えてきます。

 

 
1. 海から魚が消える本当の理由

日本の海で何が起きているのか。最大の原因は、魚が卵を産んで次世代を残す前に根こそぎ獲ってしまう「成長乱獲」と呼ばれる問題です。

小さな魚まで獲り尽くす「成長乱獲の悲劇」

日本のスーパーに並ぶ国産のサバを思い浮かべてほしいのですが、その多くは200g〜300g程度の小ぶりなものが中心です。一方、脂が乗って美味しいと人気の「ノルウェー産サバ」は500gを超える大型が当たり前です。
これは「日本の海のサバは大きくならない」からではなく、「日本の漁船が、サバが大きく育つ前に獲ってしまっている」からです。魚は小さいと市場価値(単価)が低いため、漁師は生活のために「さらに大量に獲る」必要に迫られ、結果として、繁殖期を迎える前の「未成魚」まで網に入れ、次世代の魚が育たない負のスパイラルに陥っています。

「早い者勝ち」を引き起こす、オリンピック方式の弊害

なぜ、漁師たちは魚が小さいうちに獲ってしまうのか。それは、日本の漁業が長年「オリンピック方式」と呼ばれるルールを採用してきたためです。これは、国が定めた期間内に、決められた上限に達するまで「誰が一番多く獲っても良い」という早い者勝ちのシステムです。この制度の下では、「魚が大きく育つまで待とう」などと悠長なことは言っていられないのです。自分が獲らなければ、明日にでも隣の船に獲られてしまうからです。結果として、我先にと海へ出て、サイズを問わずに獲れるだけ獲るという行動原理が働いてしまいます。

科学より「配慮」が優先される歪んだ漁獲枠

これらの問題を解決するために2020年末から施行された「改正漁業法」があります。実に約70年ぶりの大改革でしたが、これまでの「いかに効率よく獲るか」「地元の漁協の権利を守るか」という方針から、初めて明確に「科学的根拠に基づく資源管理」へと大きく舵を切りました。しかし、現在(2026年時点)の状況を見ると、理想と現実の間で激しい「過渡期の痛み」と「壁」に直面しています。

その中で問題を深刻にしているのが、国が設定する「漁獲枠(TAC)」の甘さにあります。本来、漁獲枠というものは「これ以上獲ったら資源が枯渇する」という科学的な上限(生物学的許容漁獲量=ABC)を下回るように設定されなければ意味がないのですが、日本では長らく、「いきなり枠を減らすと漁師の生活が苦しくなる」という社会経済的な配慮が優先され、科学的上限をはるかに上回る「甘い枠」が設定されてきました。ひどい場合には、実際の漁獲量よりも高い枠が設定され、実質的に「獲り放題(乱獲の公認)」となっていたケースすらあり、これでは資源回復に繋がりません。

例えば、水産庁はスルメイカの2026年度の漁獲枠設定において、スルメイカ全体の漁獲枠を6万8400トンに決定しました。これは2025年度当初の漁獲枠1万9200トンの約3.6倍にあたる異例の拡大です。この増枠の根拠として、三陸沖などの一時的な好漁であった限定的な場所のデータに基づいており、資源全体が回復した証拠としては不十分で、本来の資源管理ルールを無視した決定であると言えます。

これには、日本特有の環境や仕組みにも問題があるのですが、現在の日本の漁業法改正は、「設計図(法律)は国際標準に近づいたが、現場での施行(運用)が既得権益やデータ不足に阻まれ、まだ骨組みの段階で足踏みしている」という状態です。改革の方向性は正しいものの、スピード感が圧倒的に不足しているのが実態と言えます。

海は無限ではなく、気候変動という環境の変化が魚に悪影響を与えている今だからこそ、人間の側が獲り方をコントロールしなければならないのです。しかし、日本の制度はそれに全く追いついていないのが現状です。そして、日本特有の構造的な問題と漁業法改正の中に、ある劇薬とも言える危険性が潜んでいます。


2. 「漁協のジレンマ」と、迫り来る「海の新自由主義」の罠

日本の漁業が「獲りすぎ」から抜け出せない背景には、現場の漁師個人のモラルだけでは片付けられない構造的な問題があります。その中心にあるのが、全国の沿岸漁業を束ねる「漁協(漁業協同組合)」の存在です。しかし、漁協の問題は単純な既得権益の打破だけで解決するほど単純ではなく、そこには、日本の海をめぐる複雑なジレンマが隠されています。

「量」を追わざるを得ない漁協の収益構造と依存関係

漁協は本来、立場の弱い漁民が協力し合うための相互扶助組織です。しかし、そのビジネスモデルが現代の「資源枯渇」という現実と決定的に噛み合わなくなってしまったと言えます。
漁協の主な収入源は、水揚げされた魚を販売した際の手数料に加え、漁船の燃料、氷、魚を詰める発泡スチロール箱などの販売(購買事業)です。もし資源を守るために「漁獲量を減らし、魚を大きく育ててから高く売る」という方針に切り替えれば、氷や箱の売れ行きは落ち、手数料収入も一時的に激減してしまう。つまり、「単価が安くてもいいから、とにかく大量に魚を獲ってきてくれた方が漁協の経営は潤う」という構造的な矛盾を抱えています。

さらに、多くの漁師は高額な漁船や網を購入する際、漁協系の金融機関から融資を受けています。水揚げした魚の売上は漁協に入り、そこから借金の返済や燃料代が天引きされて残りが手元に残る。この資金繰りまでを「丸抱え」された状態では、漁師は借金を返すために海が荒れていても休むことなく、小さな魚まで獲り続けなければならない。これが乱獲を後押しする見えない鎖の連鎖となっています。


「ムラ社会」の弊害か、それとも「最後の防波堤」か

こうした実態や、新規参入を阻む閉鎖的な体質から、「漁協の既得権益を解体し、株式会社などの企業参入を促すべきだ」という規制改革の議論が度々巻き起こってきました。実際、日本の漁業権は長らく漁協が事実上独占しており、他産業からのイノベーションが入りにくい「ムラ社会」を形成してきたのは事実です。しかし、ここで視点を世界に向けてみると、単に「市場を開放すればすべて解決する」という新自由主義的な発想が、いかに危険な劇薬であるかが浮かび上がってきます。

海外の漁業先進国(ニュージーランドやアイスランドなど)では、企業参入を促し、漁獲枠の売買(ITQ制度)を自由化した結果、深刻な副作用に見舞われています。資金力のある大企業や投資ファンドが漁獲枠を次々と買い占め、「クオータ・バロン(漁獲枠の男爵)」と呼ばれる、一部の巨大企業による独占が進んでしまいました。

その結果、代々海を守ってきた地元の小規模漁師たちは自分の枠を失い、大企業から「高いレンタル料」を払って枠を借りなければ漁ができない状態に陥ったのです。現場に出ず、オフィスで利益をピンハネする資本家たちの下で、現場の漁師がワーキングプアのような「海の小作人」へと転落する悲劇が起きています。もし日本で無防備に漁業権を売買して、海外のように証券化・金融商品化してしまうと、外資系ファンドによる「日本の海の乗っ取り(買い占め)」という安全保障上の重大な危機すら招きかねないのです。

求められる「絶妙なバランス」

これまで漁協が作ってきた閉鎖的なシステムは、日本の漁業を時代遅れにして、資源の枯渇を招いた一因であることは間違いないと思います。しかし同時に、その強固な組織力があったからこそ、グローバル資本の波から「沿岸の零細漁師」と「地域コミュニティ」が守られてきたという防波堤の役割を果たしていたのもまた事実です。
私たちが直面している課題は、「漁協か、企業参入か」という単純な二項対立ではありません。資源を科学的に管理し、持続可能な産業へと脱皮するための「ルール改革」を進めつつも、同時に、現場の漁師が資本の論理に搾取されないための「強固なセーフティネット」をどう築くか、この極めて難易度の高い舵取りが、いま日本の政治と社会に突きつけられているのです。

3. どん底からの復活と「資本の暴走」を防ぐノルウェーの防波堤

日本の漁業が直面している「資源枯渇」と「地域コミュニティ崩壊の危機」。実は、現在漁業先進国として知られるノルウェーも、かつては全く同じ壁にぶつかっていました。1960年代から80年代にかけて、乱獲によってニシンやタラが激減し、漁業は事実上の産業崩壊の危機に瀕したのです。そこから彼らは、痛みを伴う大改革を断行し、見事に「儲かるサステナブルな産業」へとV字回復を遂げました。その成功の鍵は、「厳格な科学的管理」と「弱肉強食を防ぐ精緻なルール設計」の両輪にありました。

政治的妥協を排した「科学の絶対視」

ノルウェー政府が最初に下した決断は、痛みを伴う「減船(漁船を減らすこと)」と、MSY(最大持続生産量)に基づく厳格な漁獲枠の設定でした。日本のように「漁師の生活が苦しいから」と政治的な妥協で枠を甘くすることは一切許さず、科学者が「これ以上獲ってはいけない」と定めた上限(ABC)を絶対的なルールとして敷きました。獲る量を強制的に減らされたことで、当初は凄まじい反発やデモが起きましたが、国は「未来の資源を守るため」と決して譲らなかったのです。

「海の小作人化」と「外資の乗っ取り」を防ぐ巧妙なルール

資源を回復させる一方で、ノルウェーは漁獲枠の個別割り当て(IQ)と、その売買(ITQ)を導入し、産業の合理化を進めました。しかし彼らは、第2章で触れたような「巨大資本による枠の買い占め」や「漁師の小作人化」が起きる危険性を熟知していました。そのため、単なる新自由主義的な市場開放ではなく、資本の暴走に強固なブレーキ(防波堤)をかける独自のルールを法制化したのです。

① 枠の上限規制(寡占化の防止):
一つの企業や個人が所有できる漁獲枠の割合に、厳格な上限(例えば特定魚種の国全体の枠の十数%まで等)を設けました。これにより、クオータ・バロンが、市場を牛耳ることを物理的に防いでいます。

② 現役の漁師しか枠を持てない(投資目的の排除):
漁獲枠を所有し、船を動かせるのは「実際に海に出ている現役の漁師(または過半数を出資する漁業者)」に限るという厳しい要件を設けました。これにより、オフィスで利益だけを吸い上げる投資ファンドや、外資系企業による乗っ取りを完全にシャットアウトしています。

③ 岸漁業と沖合漁業の「枠の分離」:
資金力のある大型船(沖合漁業)と、地域のコミュニティを支える小型船(沿岸漁業)の漁獲枠を明確に分け、大型船が小型船の枠を買い叩けないように保護しました。これにより、効率化を追求しつつも、伝統的な沿岸の漁村コミュニティを守ることに成功したのです。

「稼げる産業」への変貌と次世代への継承

この絶妙な制度設計により、ノルウェーの海には魚が戻り、漁師たちは「早い者勝ち」の競争から解放されたのです。自分の枠が保証されているため、荒天の日に無理して出港する必要はなく、魚が最も大きく育ち、脂が乗って高く売れる時期を狙い撃ちして効率よく漁ができるようになりました。

現在、ノルウェーの漁業は劇的な変貌を遂げています。徹底したブランド化と効率化により、全産業平均に匹敵、あるいは一部の熟練者や船主では1,000万円を超える高所得を実現しており、他産業よりも高収入です。最新の漁船はホテルのような快適な居住空間を備え、労働環境も劇的に改善されたことで、かつて「キツくて儲からない」と言われた職業は、今や若者たちが就職先として憧れる、国のエース級の成長産業となっています。

ノルウェーの奇跡は、単なる「海の豊かさ」がもたらしたものではないのです。それは、「科学を尊重する冷徹さ」と「現場の漁民とコミュニティを資本の暴力から守り抜く温かさ」という、極めて高度な政治的リーダーシップの賜物なのであると言えます。

4.日本の70年ぶりの大改革「改正漁業法」の光と影

日本の漁業を「獲りすぎによる枯渇」と「閉鎖的なムラ社会」から脱却させるため、国も決して対策を講じていなかったわけではありません。「改正漁業法」は、実に約70年ぶりとなる歴史的な大改革でした。

改革の「光」:ついに舵を切った科学的管理

この法改正の最大の功績は、これまで曖昧だった資源管理の目標を、国際標準である「MSY(最大持続生産量)」をベースにすると法律で明確に定めたことです。
対象となる魚種を大幅に拡大し、大型船に対しては「早い者勝ち」のオリンピック方式から、船ごとに枠を割り当てる「IQ(個別割当)制度」への移行を進めています。さらに、全国の漁獲情報等の電子的な収集・報告の取組みを始めたことで、信頼性の高い漁獲データを収集して、資源管理の精度向上と国際的な水産物流通ルールへの適応を目指しています。「まずは科学的な上限を守る」という世界の常識へ、日本がようやく重い腰を上げたことは間違いなく「光」としての側面であり、大きな前進でした。

改革の「影」:取り払われた優先権と「小作人化」の足音

しかし、この法改正には、現場の漁業者たちがとても恐れる「影」が潜んでいました。それは、企業の新規参入を促すために、長年地元の漁協に与えられてきた「漁業権の優先順位」が廃止されたことです。
これまで、日本の沿岸漁業は良くも悪くも漁協という「防波堤」によって外部資本から守られてきました。しかし法律のタガが外れた今、資金力のある企業が直接漁業権を獲得しやすくなったのです。
ここで思い出されるのが、東日本大震災後の宮城県で導入された「水産業復興特区」です。この時、全国で初めて民間企業にカキ養殖の漁業権が直接与えられましたが、全国の漁協は「浜が企業に牛耳られ、漁師がただの日雇い労働者(小作人)に成り下がる」と猛烈に反発し、国を二分する大論争となりました。法改正により、この宮城県で起きた「企業 vs 地元コミュニティ」の摩擦が、今後全国の海で引き起こされる下地が整ってしまったと言えます。

ノルウェーの「防波堤」がない日本の危うさ

3.で見たように、漁業先進国のノルウェーは枠の売買や企業参入を認める一方で、「現役の漁師しか枠を持てない」「一つの企業が持てる上限を厳しく制限する」という、資本の暴走を防ぐ強固なルール(防波堤)を法律で幾重にも張り巡らせていました。
一方で日本の改正法を見ると、この「巨大資本の独占を防ぐセーフティネット」が驚くほど脆弱です。もし今後、沖合漁業の枠の売買が自由化されれば、数社の大企業が日本の漁獲枠を独占するクオータ・バロンが容易に誕生しうることになり、明確な歯止めが、現在の日本の制度には用意されていません。

沿岸漁業においては、日本のダミー会社を隠れ蓑にした外資系ファンドが漁業権や加工施設を買い漁る可能性に対して、2022年以降、重要土地利用規制法や外為法の運用、水産庁の免許基準によって「実質的な参入制限」は構築されつつあります 。修正案として「門戸を広げつつも、安全保障上の穴を埋めるために運用基準や土地規制を連動させた多重のチェック体制が整い始めている」と言えます。

依然として残る「ザル規制」

さらに根本的な問題として、1.で前述した通り法改正で「科学的管理」を掲げたものの、実際の運用では旧態依然とした妥協が続いています。科学者が「これ以上獲ってはいけない」と上限(ABC)を提示しても、水産庁は「急に枠を減らすと漁業者の経営が成り立たなくなる」という社会経済的な配慮から、科学的上限をはるかに上回る甘い漁獲枠(TAC)を平気で設定し続けています。ルールは最新になっても、運用が「ザル」のままでは魚が戻るはずもないのです。

日本の漁業改革は今、極めて危険な岐路に立たされている。

「科学的な資源管理の徹底」という本丸には及び腰のまま、地域の防波堤であった漁業権のタガを外し、是正はされつつも、無防備な自由競争の海へ現場を放り込もうとしているのではないでしょうか。日本が真の漁業先進国になるためには、市場を開放すること以上に、「海と地域社会を資本の暴力から守るルール」をいかにして築くかが問われていると思います。

5. 私たち消費者にできること

これまで見てきたように、日本の漁業は「気候変動」という言い訳の裏で長年放置されてきた乱獲問題と、それを温存してきたシステム、そして今度は「改革」の名の下に進む新自由主義的な海の切り売り(小作人化や外資乗っ取りのリスク)という、二重三重の危機に瀕していると言えます。
国や巨大資本の思惑が交錯する中で、私たち一般の消費者は無力なのでしょうか。いえ、決してそうではないと思います。スーパーの鮮魚売り場に並ぶ魚の「選び方」を変えることこそが、海を守り、地域で真っ当に漁業を営む人々を守る最強の防波堤になり得ます。

① 「安くて小さい魚」の裏側を想像する
まず私たちがすべきことは、「魚は安ければ安いほど良い」という価値観からの脱却です。スーパーで特売されている「小ぶりのサバ」や、手のひらサイズの小さな魚たち。これらは1.で触れた「成長乱獲(未成魚の乱獲)」によって、本来ならもっと大きく育ち、卵を産むはずだった次世代の命である可能性があります。安さに惹かれてこれらを買うことは、結果的に「乱獲を経済的に支持している」ことと同義になってしまいます。適正なサイズに育った魚を、適正な価格で買う。その意識の転換が第一歩ではないでしょうか。

② 海のエコラベル「MSC認証」「ASC認証」を選ぶ
一般的には、最も具体的で効果的なアクションが、「海のエコラベル」が付いた水産物を選ぶことです。天然の魚には青いマークの「MSC認証」、養殖の魚には緑のマークの「ASC認証」があります。これらは、「水産資源が枯渇しないよう厳格に管理され、環境や生態系に配慮して獲られた(育てられた)持続可能な水産物」であることを証明する国際的なマークです。
欧米ではすでに、大手スーパーが「MSC認証のない魚は一切仕入れない」と宣言するほど消費者の意識が高く、それが漁業者に「持続可能なルールの遵守」を強く促す原動力となっています。日本でも大手小売店や生協(コープ)などを中心に少しずつ取り扱いが増えてきています。私たちがこれらのマークを意識して買うことで、流通業者や国に対し「サステナブルな魚しか買わない」という強烈なメッセージを送ることができます。

③ 「顔の見える」地域の漁業を支持する
さらに一歩踏み込むなら、産地直送のサービスなどを利用して、認証はなくとも資源管理に真剣に取り組んでいる地域の会社から直接魚を買うという選択肢もあります。もちろん、私たちのような自然食の販売を行っている信頼のおける会社から購入する方法もあります。
最近では、「海業」といって、漁港を中心に地域の海の資源などを活かした、観光や体験型サービスを合わせて提供する取り組みがあり、漁村の人口減少・高齢化に対する地域の活性化や水産物の消費拡大に役立っており、そのような取り組みに参加するなど、施設を利用することも漁業を守ることにつながります。
4.で危惧した「巨大資本による海の乗っ取り」を防ぐためには、地道に海を守りながら操業している沿岸の小規模漁業者たちが経済的に自立できることが不可欠です。彼らを直接「買い支える」ことは、日本の食料安全保障と地域コミュニティを守る草の根の運動でもあります。

おわりに

「日本の海から魚が消える」。その原因は、決して海流の変化や外国船だけのせいではないのが、ご理解いただけたと思います。私たちが知らずとも目を背けてきた「無計画な乱獲」と、それを許してきた歪んだシステム、そして改革の名の下に忍び寄る「海をめぐる資本主義の暴走」の可能性があります。
つまり、これらを引き起こしたのは、人災の側面が大きいのです。しかし、絶望するにはまだ早いです。ノルウェーがどん底からV字回復を遂げたように、海は適切なルールさえ守れば、必ず豊かさを取り戻す「驚異的な回復力」を秘めています。もちろん日本とノルウェーでは、漁場の環境も取り巻く状況も違うので、すべてを当てはめることはできないかもしれません。
そして、種子(タネ)と同様に、海もまた、誰か一部の企業や投資家のものではなく、国民全体の共有財産であることは、同じと言えるはずです。
未来の食卓に国産の美味しい魚を残せるかどうか。それは、政治や業界任せだけではなく、今日スーパーで「どの魚を選ぶか」という、私たち消費者一人ひとりの自覚と行動にも委ねられているのではないでしょうか。



■参考資料:

・片野 歩著 『日本の水産業は復活できるか』『サバが獲れない〜日本の漁業を滅ぼす「無能な漁獲枠」
・同著 東洋経済オンライン・WEDGE Infinity記事一式
・WEDGE ONLINE 真田康弘氏 記事一式
・農林水産省(水産庁)「水産白書」(令和5年度版など)
・FAO(国連食糧農業機関)「世界漁業・養殖業白書(SOFIA)」
・内閣府「規制改革推進会議」の答申・議事録
・水産庁「水産政策の改革について(水産業成長産業化に向けた施策)」他
・朝日新聞、毎日新聞、河北新報 「宮城県 水産業復興特区」「桃浦かき生産者合同会社」「県漁協の反発」等記事一式
・笹川平和財団 海洋政策研究所(OPRI)北欧など漁業資源管理研究レポート一式
・水産庁「漁業収入安定対策事業」の概要資料
・MSCジャパン(海洋管理協議会)、ASCジャパン(水産養殖管理協議会)公式サイト


文:類 久隆
ナチュラル・ハーモニーの商品部担当。
とにかく何でも調べるのが大好きです。
自称、社内一の食品オタク。
食べることも忘れて日夜奮闘中……?

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