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ライフジャーナル(大類久隆)

人類が超えるべきこと

2022.07.18

ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、自我を超えた豊かな未来について考えていきます。


人類が超えるべきこと

その理解なくして変化はありえない?
同じ過ちを繰り返さないために!

前回、社会の劇的な転換が起こるであろうという内容を書く中で、自然観つまり自然に対しての価値観がそもそも間違っていたのではないか、という仮説をお伝えしました。実はその時にどうしても超えなければならない大切な要素があります。これを語らないとおそらく車輪の片側がないまま道を進むようなものなので前回の続編としてご理解ください。

> 前回の記事はこちら 「パラダイムシフトが始まる」

さて、前回は所有するという概念を変える必要があるとお伝えしました。そうは言っても所有には車を買う、服を買う、時計を買うなど生きる上で必要なものを購入するという意味もあるので、言われてもピンと来ないかもしれません。今回問いたいことは、「人間は本来自然を所有できるのか?」という根源的な部分についてです。

古くから人間は財産という形で土地や資源や貴金属などを所有して同時に権利も有してきました。つまり所有とともにあらゆる権利が生じてくるのです。例えば広い農場を所有していればそこで労働者として人を使う権利が生じる。権利があれば人も所有する対象となってきたわけです。これはそのまま現代にも通じる構図なのですが、このような状況が生まれてしまう要因が、所有するという概念なのです。

そのため、その考え方を変えない限り、多くを所有している人にさらに富が集まり続けることになり、世界中のほとんどの人がお金を得るためだけに働くという状況は一向に変わりません。では状況を変えるにはどうすればよいのか。それは所有するではなく共有する意識を持つことです。
これはプライベートな部分まで他人と共有しなさいという意味ではなくより広い意味での概念です。共有の対象にはあらゆる資源であり土地であり人間などがあり、これらを取引の材料にしないということです。

実はここからが本題なのですが、人間が所有や権利を主張するようになったのは何故なのでしょうか。もちろん家族を守るために自分の土地や家を守るという意味では必要な主張ではあるかも知れません。
しかし人より多くの物を欲する。人の上に立つ権力を欲する。人より高い名誉を欲する。そこには、あらゆる欲望の元となる自我(エゴ)が存在します。ここで述べる自我とは自分の欲望のためなら他人の権利や生存を脅かしても良いという意味です。けっして個性や自分らしさを表す意味の自我ではありません。

欲望を持てば一度手にした財産や名誉を失うことの恐怖心も同時に持ち合わせる事になるでしょう。さらに現代はその欲望を達成すること自体が目的になっているとも言えます。その自我を最大限に膨張させていくことをよしとしたのが、現代まで続く経済の仕組みです。その結果起きたことは取り返しのつかない環境破壊や、あり得ないほどの経済格差であり、すべては自我の最大化によるものと言えるでしょう。

ここで誤解のないようにお伝えしたいのですが、豊かさを求めることやお金を得ようとする行為自体が悪いのではありません。既存の経済は必ず誰かの犠牲の上に立っている仕組みであり、その仕組みの中ではすべての人が豊かになることはないことに問題があるのです。
誰かの物質的な豊かさは、必ず誰かから奪い取ったものであること。そしてそれは生きる機会さえ奪うことにもなります。どれほど豊かな資源であっても奪い合うと必ず不足して、分け合えば十分に足りるということです。理屈では分かっていても、この仕組みがある限り強制的に参加させられているのが現在の世界なのです。

前回は自然観の在り方についてお伝えしましたが、その自然に対する価値観と自我の方向性を根本的に変えた社会や経済の仕組みにつくり替える必要があると感じています。理想論にしか聞こえないかも知れませんが、既存の経済学や、あらゆる社会の仕組みにしても、この最も大事な要素が抜け落ちていると思います。(自我つまり欲望の方向性やあり方についての説明はあらためてお伝えしたいと思います。)

人類はこれまで十分に経験してきて、これ以上この仕組みが機能しないことに気づき始めています。では、その枠組み自体を壊すためにどうしたらいいのか。すべての人類が豊かに暮らせる仕組みは、まずお金の制度を変えることが重要と考えますが、その前にいかに社会が不自然な仕組みであるかを知ることが先決だと言えます。

お金の制度を変えるとなると、人間も自然界の一部とするなら弱肉強食であり生きる上で競争は必要なことではないか? また、公平なお金の制度とは古代の物々交換のような仕組みに戻ってしまうのではないか? という意見が出ると思います。この問いに対しては、前者は、自然界では動物であっても弱肉強食は一側面であって全体ではまったく違い、ほとんどが共生、共存関係にあること。後者は古代に物々交換などなく価値の交換や取り引きするという概念が存在していなかったという説があること(※1)により当てはまらないというのが私の考えです。つまり自然界も古代も多くが分け与え合う社会であったということ。ここでも自然観の捉え方の違いが理解できると思います。

自然の摂理に沿った公平な社会や経済の仕組みを作ることは可能だろうか?そんな疑問から始まり自分自身の中で探求してきたことを仮説を交えて書いてきました。ほとんどが概念的な内容なので現実的ではないと思われるかも知れませんが、むしろその概念や哲学がなかったことが、現代社会の最大の問題点だと思っています。


【参考文献】
※1 『負債論 貨幣と暴力の5000年』 デヴィッド・グレーバー著
経済が物々交換で始まったのは間違いであり、どの民族も特殊な場合を除いて物々交換など行っていなかったとし、経済学を人類学者の立場から痛烈に批判している。貨幣は負債であると断言する鋭さはお見事。
2020年9月2日に死去。ご冥福をお祈りします。


文:類 久隆
ナチュラル・ハーモニーの商品部担当。
とにかく何でも調べるのが大好きです。
自称、社内一の食品オタク。
食べることも忘れて日夜奮闘中……?

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