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ライフジャーナル(大類久隆)

パラダイムシフトが始まる

2022.07.18

ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、今の世界情勢から見たこれからの社会の在り方について考えていきます。


パラダイムシフトが始まる

すべての常識と価値観の転換が始まる?
自然観の違いが最大の原因!?

世の中の表層で起きている出来事の裏側では、必ず別の価値観の潮流が起こり始め、それがいずれ本流となっていくという歴史があります。
表層で起きている事が戦争でも政治的混乱でも災厄でも同じことで、その出来事がきっかけとなり人間は、その都度学び新たな選択の道を歩み始めます。しかし世の中の流れが変わろうとしているときは、必ず古い固定観念とぶつかり合う事にもなります。かつてのコペルニクスの地動説もそうでしょう。
当時のカトリック教会や知識人と言われた多くの人が、地動説を否定して地球があくまでも宇宙の中心であることを曲げなかった話は有名です。彼らにとってそれを認めてしまうことは、絶対である聖書の内容を否定することになるからです。

もしその時と同じくらいの転換が起ころうとしていたら皆さんはどう思われるでしょうか。もちろんここで問いかけたいのは天文学の話ではなく、社会の仕組みや人の価値観の話になります。
「まさかそこまでの世の中の転換なんて起こるだろうか?」「遠い未来の話なら分かる気がする。」などのように思われるかもしれません。

なぜ今回この問いかけを行うに至ったかは、新型コロナウイルスとそれに伴う経済が影響しています。世界中の人々が、これほど身近にそして同時に生と死について考えることはこれまでなかったのではないでしょうか。単に感染症からどう身を守るかという安全性の問題ではなく、人間の死生観そのものに目を向けざるを得なかったのです。
すべての人は生まれた瞬間から死に近づいていくわけですが、その限られた人生の中でどう生きるかという生き方の質を意識した人が多かったのではないでしょうか。

また 、経済についてもおかしな点が浮き彫りになってきました。新型コロナウイルスにより世界中で行動の自粛が行われた結果、多くの企業の経営が悪化していく中で、国が大企業の発行する株式を買い支えて経済を延命させるということが行われています。人の行動が制限されれば経済が成り立たなくなるのは誰でも理解できることですが、本来自由な競争の上に成り立っている社会で、実態経済が瀕死の状態にもかかわらず金融経済だけにお金が回っているといういびつな構造が世界中で見られています。
つまりこれは資本主義経済の終焉を意味しています。

パラダイムシフトとは、社会全体の思想や価値観などが劇的に転換することを言います。緊急事態宣言発令時の世の中は「命の安全を優先して自粛を続けるか、経済活動を優先して自粛を解除するか」と議論されていましたが、そもそも国民の命を守り生活も守ることが国の役割のはずです。両方が対立してしまう構造にこそ問題があり、そこに人々は徐々に気づき始めていきました。

その他にも、例えば
「医療がこれだけ進んでいる社会で癌など重篤な病が増え続けているのはなぜか?」
「テクノロジーがこれだけ普及している社会で忙しさだけが増して人が幸せになれないのはなぜか?」
「情報がこれだけ溢れている社会で役に立つどころか混乱を煽るだけなのはなぜか?」
「民主主義がこれだけ浸透している社会で差別や格差が一向になくならないのはなぜか?」
今まで当たり前に正しいと思っていたことが、まったく通用していない事に気づき始めています。では、なぜこれらの矛盾や問題ばかり起こる社会になってしまったのでしょうか。

ここでひとつの仮説を立てます。人類は100年以上にわたって大きな政治的イデオロギーの対立の中で生きてきました。それが資本主義と共産主義や社会主義の対立です。ここで政治を論ずるつもりはないのですが、ある意味で両者には財産を私有するか共有するかという違いがあります。
ただし、その財産の定義はどちらも経済的に価値を成すものであることには変わりなく、それゆえに一部の人間に財産が集中してしまい、同時に権利(権力)を持つことになった点においては、どちらも同じ結果になってしまいました。これはどちらも政治的に違いがないという話ではなくて、ポイントは「財産の根本的な定義」です。

これまで財産とは、自然界にある資源を人間の手によってお金に変えることで価値が生まれると考えてられてきました。逆に言えば自然界の資源は人間が手を加えなければ無価値であるということになります。そしてその財産を誰がどう所有するかがすべての最優先事項だったのです。
つまり貨幣に換算できるものだけが価値あるものという前提で社会が動いていた。このような自然観から社会を組み立ててしまったため、どのような政治形態であろうと国民にとって不幸な結果につながってしまったのではないか。これが私の立てた仮説です。もしも資源を所有するという概念がなく、自然界はそのままで価値があるという考え方で社会が組み立てられたとしたら、同じような結果になっていたでしょうか。

とても概念的な話なので、この仮説と社会の基本的な問題点が結びつきにくいかも知れません。説明に本が一冊書けるほどの内容だと思いますが、今回はさわりをお伝えするのみになります。しかし今まさにこの価値観や自然観が根本からひっくり返る可能性を感じています。

自然の価値を認め、お金によって計らない、所有するという概念を超える社会とは?はたしてどんな世界になるのでしょうね。これはひとつの哲学になり得ます。そしてこの問いかけは、凝り固まった現代社会に対する挑戦状でもあるのです。


大類 久隆
ナチュラル・ハーモニーの商品部担当。
とにかく何でも調べるのが大好きです。
自称、社内一の食品オタク。
食べることも忘れて日夜奮闘中……?


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