ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、心の問題について考える後編です。
前編では、「自己肯定感」が低いとはどういうことなのか、どんなことが起こるのかをお伝えしました。
今回の後編では、「自己肯定感」が低くなる環境の仕組みや、社会への問題について考えます。
> 前編はこちら 「人の価値について考える 『自己肯定感』こそいま人類が向き合うべき課題
【前編】
抑圧された環境で起こる心理的な問題は、人種に関係なく世界で共通していると思います。当然、国や民族ごとの生活習慣により差はあると思いますが、多少なりともこの問題を抱えて生きている人が多いのではないでしょうか。
問題なのは、先進国においても社会構造がそれを助長するかのようにできあがっていることです。
どういうことかと言うと、例えば学校教育の現場では、人は平等であると教えられます。しかし、現実には人より1点でも多く点を取ることが要求されます。もちろん、成績にはテストの点数以外にも評価基準が存在しますが、授業態度が従順であることを求められます。結果的に人格を尊重し人を育てる機関であるはずの学校は、最終的に人を選別し振分けていることにならないでしょうか。
これが新興国の場合は、自尊心を育む以前に基本的な人権すら守られない状況が多数あると思います。
なぜ学校がこのような機関になっているのかというと、その上位にある社会が経済的に徹底したピラミッド型構造になっているからです。だから、将来的にそのピラミッド構造の中にある企業で働く、従順で物覚えが良い人間が必要になるため、ある種の選別が重要になるということです。
とても乱暴な仮説に見えるかもしれませんが、その乱暴ついでにお伝えしておきます(笑)選別するというのは、成績の良い者だけではなく悪い者も必要とされているということにお気付きでしょうか。社会は従順さを必要としていますが、人はピラミッド型社会の上位から低位までまんべんなく振り分けられるようになっています。
教育機関で働く方々を悪く言うつもりは毛頭ありません。特に現場にいる先生方の日々の努力には、頭が下がる思いです。しかし学校という存在が、社会全体からみると完全にピラミッド型構造に組み込まれてしまっていることが残念であり、学校を卒業しても競争社会の中で自尊心を育むことがいかに難しいのかが分かります。
子どもが最初に触れる社会生活の場は、家庭になります。ここでの経験が後の人生に最も影響を与えることになりますが、その後の学校生活や社会生活ももちろん重要です。成長の過程で自尊心を大きく傷つけられ、自身の感情や気持ちを甚だしいほど受け入れてもらえなかった場合に起こり得る感情の表現は前述した通りです。
そして、もう一つ大切な視点があります。「自己肯定感」がとても低い状態で大人になった場合に陥りやすいのが、極端な思想や思考に偏りやすいということです。あくまで可能性としての話になりますが、例えば民族浄化や国粋主義やテロリズムなどといった考え方に傾倒しやすくなるのではないか、と考えています。
なぜこのようなことが起きるのでしょうか。それは、自身が抱えてきた「不安や怒り」の対象が、社会や特定の団体や民族に向きやすくなるということです。自身が受けてきた抑圧的な環境の原因が社会構造にあると考えて、さらに自身の体験と重ね合わせてしまいます。そして、社会や特定の民族や団体に矛先が向いてしまうということになります。また、ある偏った思想構造の中にいることで、自分自身の存在価値を見いだせると思ってしまうのです。これは、あくまで他者への批判や非難によってのみ自身の価値を有することになり、無条件に自分という存在を受け入れて認める行為とは正反対に位置します。
これに関連してもっと身近な例でいえば、イジメの構造も問題の本質は一緒です。例えば自己肯定感が低い状態の子どもが、自身より劣っているという存在を見つけ出して攻撃するという構図がイジメだと思っています。
つまり心理的に言えば、自分の中にある最も嫌っている部分を他者に投影して見ていることになります。これは幼少期に成長する過程で親からある行為を不当に強く拒否や無視されることで起きます。例えば行動が遅い、口数が少ない、態度が曖昧などの点を強く否定され続けていると、自身の中のその考え方や行為自身を嫌うようになり、やがて他者の中にその行為を見ると許せなくなるわけです。
さらにそのイジメの対象となる相手を確立することで、自身の存在意義を暴力的な力によって確認することになります。相手がそれに対して服従することに満足感さえ覚えることがあります。もちろんイジメをする人のすべての心理的原因がこれに当てはまらないと思いますが、多くのケースでの本質がここにあると考えています。
また社会的な問題としてドメスティックバイオレンスや家庭内暴力なども、直接的ではないにしてもなんらかの関連性は十分に考えられます。
そして、この心理的な構造を逆手にとって利用したのが、軍隊の教育方法です。国によって状況も環境も違いますし、現代ではだいぶ変わったという話を聞きますが、かつてのスパルタ式の教育は、入隊した隊員の自尊心を力によって徹底的に潰して、絶対服従を要求します。
まるでその場でこそ生きる価値があり、まっとうな人間として再生するかのような錯覚をさせていきます。そこで生まれる怒りの感情が敵に向かうよう、上手に誘導していくのです。これは完全なマインドコントロールと言えるでしょう。
最近問題になっているスポーツ界のパワーハラスメント問題も、似た構造と言えます。確かにこのような環境の中でも運動能力を伸ばす選手はいると思いますが、才能を潰してしまっている選手のほうが多いのではないでしょうか。何より、こういったことを続けることによって、人間の持つ多様性を失ってしまう可能性もあります。
不幸なのはその教育方針を長年受けてきた人が、逆に指導する立場になった時に同じことを繰り返してしまうことです。たとえその人がその業界から離れたとしても、習慣的思考が抜けず、一般社会に馴染めないということがよくあります。
テロリストをつくり出す構造もこれと同じです。テロリズムに傾倒する人たちは、貧困や政治的に抑圧された状況の中から生み出されるものとされてきました。しかしテロリストとして志願する若者たちの多くは、先進国でも特に裕福な家庭に育ち高等教育を受けてきた人が多く含まれているという事実があります。
さらにその中でも人生に閉塞感を抱き、社会に対して恨みを持ち自殺願望を持つ人物、つまり自尊心や自己肯定感がひどく欠落してしまった人間に対して、「死ぬなら聖戦に参加して戦い、殉教者となれば天国にいける」と誘い、多くの自爆テロ志願者をつくりだしてきました。
今回は自己肯定感をテーマに、自己肯定感が低くなることによって引き起こされる社会構造とともに様々な社会問題をお伝えしました。
内容が飛躍し過ぎているというご意見もあるかもしれません。しかし、人として生きる時、自身がしっかりと家族や社会に受け入れてもらえないことが、どれほどの心の傷となって自身の将来への障がいとなり、社会への障がいとなりうるのかをお伝えしました。
誰しもが持ちうる感情であるし、日頃から自分に自信を持てず自己嫌悪に陥りやすい人や、他人をどうしても批判的に見てしまい、受け入れることが出来ない人の原因もここにあるかもしれません。
人の価値とは、何かを成し得ることや他者との比較によって生まれるものではありません。人として人らしく生きることそのものに価値があると思っています。
この自己肯定感についてはまだまだ検証の余地がある分野だと思います。将来的にあらゆる社会問題の根底にある心理的課題として、議論が進むことを望んでいます。
1889年4月20日、オーストリアのブラウナウで出生。裕福な家庭に育ちながらも複雑な家庭環境や父親との関係性に悩み、不遇の青年期を送ったと言われています。しかし成績は優秀で、あらゆる芸術や学問に興味を示し広範囲の知識を得ていました。
類まれな演説の上手さとカリスマ性によって、やがて政治家として頭角をあらわし、ドイツ国民を熱狂の渦に巻き込むことになります。
『民衆がものを考えないということは、支配者にとって実に幸運なことだ』
――アドルフ・ヒトラー
> 前編はこちら 「人の価値について考える 『自己肯定感』こそいま人類が向き合うべき課題」
【前編】
【参考資料】
『魂の殺人』 アリス・ミラー著 新曜社
『自己評価の心理学』 クリストフ・アンドレ&フランソワ・ルロール 著 紀伊國屋書店
『世界政治裏側の真実』 副島 隆彦/佐藤 優著 日本文芸社
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