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我、四十にして主夫となる

落語に学ぶ

2024.08.29

我が家は毎年、夏になるとふるさとへ帰省する。
奥さんの実家もイシマンの実家も秋田県。一石二鳥の帰省である。

今年の夏もイシマンと長男氏(中3)と次男氏(小2)〈以下 さんチン〉を連れ立って秋田へと、夏も盛りの八月初旬のコト。
奥さんの実家は秋田の真ん中、イシマンの実家は秋田のはじっこ、距離にして電車で一時間ほど。
例年のことながら、中央から端へと実家のはしごである。

今年はいつもと異なり、奥さんのご両親と小さな旅行を企画した。
ご両親が引退したこともあり時間的に余裕ができたことと、義母の足が悪いため実家に長期滞在して負担を増やすよりは宿をとってゆっくりしようという考えであった。

お気づきの方もいるだろうが、義母と義父との旅行に娘である奥さんは。。。いない……。
主夫レベルとしてはかなりの高難易度のミッションである。
これにはある程度のコツがあるのだが、本稿のオチでもあるので後述する。

宿までの片道3時間弱の運転をイシマンが受け持つ。
足が悪くなると様々な生活のルーティーンが異なってくる。例えば、お手洗い。
もよおしたからと言ってすぐに車を止めることは出来ないし、トイレがある休憩所を事前にチェックしておかなければいけない。さらに足が悪いために歩く速度は大人の四分の一くらい、和式は使えず洋式のみ。
小2の次男氏はコレとは異なり、おしっこタンクの容量がまだ少ないため、走り出して30分もしないうちに「トイレー!もれるー!」と言った騒ぎであるから、運転以上に休憩所の把握が大きな仕事となる。

秋田駅を車で出たのは正午。
サンちんは新幹線の車内で遅めの朝食を食べたために昼食はとらずとも平気であったが、ご両親にお付き合いして道の駅(休憩所)にて食事をとる。
秋田も山間部に入ると「クマ食」の文化が色濃く出てくる。休憩所の名物にも「クマ カレー」があるほどに。
昨今はクマが人の居住区に現れるというニュースをおおく見るのだが、秋田には珍しくもないニュースである。
毎年五月から六月にかけて「ネマガリダケ」というタケノコが出る。厳密にはササの仲間なのであるが、秋田や山形でタケノコと言えばこちらの方が美味で有名だろう。
その美味しさゆえに全国からの需要もあり人々は山へと入っていく、そして、コレが冬眠明けのクマにとっても大好物なのである。
クマと奪い合いと言うと大げさかもしれないが、これによって毎年安定して数名亡くなったり遭難事故にあることとなる。
自然との距離感は非常に難しく、名人と呼ばれるような人でも事故に遭ってしまう。
温暖化や天候不順による食糧不足などがその原因と叫ばれがちであるが、クマが街へと降りてくることと、人が山へ入ること、似ていると思うのはイシマンだけだろうか。

閑話休題。
幾多のトイレ休憩をこなしながら終着地である宿へとたどり着く。
秋田ではそこそこ有名な宿であるが建物が昔ながらの造りゆえ義母の足が気になってはいたが、10年前に宿泊した事があったとのことで、大丈夫だろうとタカをくくっていたイシマン。


杞憂は、杞憂に、ならなかった。

駐車場から受付までの道のりは砂利道、玄関から土間、土間からかまち、かまちから床、そのどれも高い段差である。
ご両親の部屋は二階。言うまでもなく階段の段差も古い建物らしく急こう配&段差が高い。

いわゆるバリアフリーと呼ばれるような機能は、ほとんど備わっていないのだ。

当初は義母の心配をしていたが、文化的な建物ゆえ無理にバリアフリー化してその雰囲気と文化を損なうよりはしょうがないだろうと考えていたのだが、部屋へ案内してくれる従業員さんの対応で考え直した。

移動するにも人の4倍を要する事に嫌な顔一つせず、階段を上る際に転んだらいけないからと敢えてスリッパを脱ぐことをススメ、階段も義母のうしろをゆっくりと付き添い、万が一の際に備えてくれた。
部屋に入るなり用意してあった座椅子ではなく、椅子を用意してくれる。
もろもろの説明が終わり、食事の間でも椅子を用意しましょうね、と先のことまでケアしてくれる様であった。

機能として建物にバリアフリーが備わって無くとも、人がその役割を果たすという形である。

思うことも多くあった。

バリアフリーとは(建築用語として)
 :障がいのある人が生活上障壁となるものを除去する意味。

公共の場におけるバリアフリーはとても重要であるのだが、個人が住まう住居においてはよくよく考えて使用したほうがイイと思わされた。

こと今回の義母のように悪くなりつつある状況の場合、リハビリや運動によって快方へ向かう場合もあるのだが、週に数回のそれらよりも、日々の生活の中の障壁はある種の基礎的な運動を強いてくれる。
たとえば、すべての障壁がない状況があったとしよう。玄関も床も一切の段差がないフラット。きっと我々だって足を上げて歩くことを忘れてしまうのではなかろうか?

あくまで。
あくまで、個人的見解であるのだが多分、筋肉はそういう仕組みなんだと思う。

場面は変わり、夕食。

他愛もない会話をしながら楽しい夜ご飯である。

冷静になって考えると、元々、赤の他人だった人たちとのご飯である。

結婚を機に親になるゆえに義母と義父なのだが、一緒に生活したことはないのだ。

歴史も文化も共有する物は、元々、ない。

年に数度の帰省でそれを埋めるのは、ムズカシイ。

そうなってくると、定期的に会話を埋めるのはネタである。
ココでいうネタとは、簡単に言うと「おなじ話」である。

イシマンにもすでに症状が出ていると思うのだが、初老から始まると信じられている「おなじ話」を繰り返すアレこと。若者にうとまれるアレだ。
イシマンの実母と実父が相手だったら「何度も聞いたよ~。もういいよ!」と、言うこと間違いなしの「おなじ話」である。
しかし、相手は義母と義父である。忖度が必要になる。

定番の噺(はなし)は数本ある。
 義父の幼少期(3本)
 義父の修業時代(5本)
 義母と娘(2本)

ご両親は飲食業をされていたので食にまつわる話が多いのだが、今回の旅では義父の幼少期の噺であった。コレはかれこれ10回くらいは聞いたことだろう。
結婚して初期のころは、何度も聞かされる話を初見のように相槌することに専念していたのだが、5回も過ぎた頃には主夫としての経験が積まれてきた。

古典落語は同じ噺をなんどもかけるわけだが、何度も見に行ってしまう。
なぜだろう?
噺家による違いは当然あるわけだが、同じ噺家さんでも繰り返して見る。
なぜだろう。

イシマンなりの解釈は「まくら」である。

落語はいきなり本編に入ることはない。
世間話や小噺を交えつつ、本編へと導入していくのだが、ここにある種の名人芸があるとおもう。

夕飯の膳に山芋のとろろがあった。
それを目ざとく見つけたイシマンは即座にピンときた、今日はあの噺が掛かるだろうな、と。

山芋の噺を短く説明すると
【子供のころの義父は麦飯にとろろをかけて食べるのが大好きで、腹いっぱい食べるのだが、山芋のとろろは腹の中に入ってから膨れるもんだから腹がはちきれそうになって病院に担ぎ込まれた】という笑い話だが、たいして笑えるものではない。

大抵の場合は義母がまくらを話しはじめる。
そのまま本編の前半をはなしたあと「ねぇ。おやじさん!」と掛け合い(義父をおやじさんと呼ぶ)。
それを合図に義父が後半をはなすという夫婦芸である。

今回はどんなまくらで入るかな?
おっ、いつもよりも展開が早いね。
前回よりも盛ってきたね。
どこで相槌打とうかなぁ。

てな感じで、最近は落語として楽しんでいる。

 
これは何も男や女や性別に限らず、そもそも赤の他人とどのようにして時間を共にするかと言うテーマにおける解のひとつである。
基本的に他人。あくまでパートナーの家族なのだ。
正直言って気の合わない場面も多かろう。
嫁姑問題は永遠のテーマだろう。

しかし。

捉え方ひとつで、「おなじ話」は「古典落語」に変わりうるのだ。

非バリアフリーも逆をとればスポーツジムかもしれない。

そんな、主夫が見た夏の一コマ。

おしまい

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