仲居 主一さん…電気関係の流通の仕事を経て、20代前半に就農する。連作障害をきっかけに、農薬と肥料を使う農業からの転換を意識するようになる。1995年から自然栽培を開始。奥行きのある味の野菜は食のプロからの評価も高い。
霞ヶ浦と北浦という2つの大きな湖に挟まれた行方市。寒の入りを実感するとある日、仲居 主一さんの畑を訪問した。寒さにじっと沈黙している畑の生き物たちも、時折差す陽気にほころんだ表情を見せてくれる。
「ちょっと寄って見てごらん。面白い所があるんだよ。なにか気が付かない?」
仲居さんが手招きする先に見えるのは、カブが植えられた一角。白い頭から葉が跳ねている。その一つをやさしく引き抜いて、葉の様子を観察できるように見せてくれた。
放射状にふんわり広がるカブの外葉は、もう山吹色に移り変わりつつある。その外葉に囲まれて、中心から長さ5センチほどの葉がぴょこんと出ている。白菜の芯のような可愛らしさだ。
「これね、この葉っぱが呼吸しているおかげで、カブは生きているんだよ。こう見えても氷点下で耐える力を持っている。本当だよ!」
弱々しくも映る3枚の葉が外葉からバトンを受け取り、今まさにカブの命をつないでいるのだと仲居さんは説明する。
パッと見ただけでは、「生えるタイミングが違う葉っぱ」という考察で終わるだろう。仲居さんは「生長ステージごとの役割と働き」だと話す。常に変化している植物の生育過程を、まるで過去から未来へ繫がる映像として捉えているかのようだ。
仲居さんの話を聞いているうちに、乾いた土色の静かな冬の畑が、たくさんの息吹きが感じられる暖色の景色に塗り替えられてゆく。
いま畑で育っている作物や周りに生えている草の様子を見ながら、次に蒔く種が浮かんでくるという仲居さん。日々の風景の中に、道標を示すヒントが散りばめられている。
そんな仲居さんも、今シーズンの畑の様子に少し曇った表情を浮かべた。
「夏野菜があまり調子が良くなくてね。替わりに秋蒔きの野菜を育てようとしたんだよ。でもタイミングがあわなかったみたい」
先述のかぶや白菜は、葉を虫に食べられてしまったものが多い。生育が順調だった小松菜も、異常気象や関東では珍しい11月の積雪の影響で、葉先がくしゃくしゃに枯れている。
「自分の都合が自然にそぐわなかっただけ。だから素直にできなかった! と諦めればいいんだよ」。からっと笑う仲居さんが立ち上がった。
仲居さんの育てる野菜、にんじんやさつまいもは特に定評がある。
複雑な香りや味わいが、口の中で反復していく奥深さ。野菜という器に、いのちが豊かに満たされているようだ。
とある料理人に、「あなたの野菜は面白い。とにかく目立つ」と言われたこともあるそう。深く記憶に刻まれる味。それが仲居さんの野菜だ。
仲居さんは、一般栽培から有機栽培を経て、自然栽培に取り組んでいる。どんな栽培においても、これまで一貫して野菜の「生きかた」を見守ることを大切にしてきた。
肥料を施しても、または施さなくても、野菜はそれぞれのステージの中で姿形を変え、場の調和をとって生きていこうとするという。植物は一度芽生えてしまうとそこから動けない。動けないからこそ、周りに適応していけるように、根や茎や葉・身体の成分まで自在に変化させる。野菜がもつ、そんな生命力を引き出してあげることが鍵だと語る。生命力こそが、普遍的な美味しさにつながるからと。
仲居さん自身、これまで自分が変わることで苦しい局面を乗り越えてきた。農家としての人生は決して楽なものではなく、何度も辞めようと思ったこともある。しかし、苦しさからこそ学ぶべきことがあるとわかった時、肩の力が抜けた。マイナスからプラスに転換できるヒントがあると進み続けることができた。
また、自然栽培に出合い、「無いことで見えてくるもの」を知ったという。善し悪しは別として、農薬や肥料があっては見えなかった真実をつかむことができたと語る。資材を使わない状態で、野菜がどう育つのかが見えるようになった。作業の選択肢も限られるので、その中で今自分が何をすべきか思いめぐらすことができる。得たものは大きい。
「気付くことが大切。何事も勉強だよ。今でも毎日勉強だと思っている。若手にも、庭掃除といえど頭を働かせて動くんだぞ、と話すんだ」
仲居さんの元で研修しているスタッフに向けた言葉だ。
仲居さんの自宅は共同出荷のベースになっており、日々グループのメンバーが集う。技術的な助言もするが、いちばん伝えたいことは、対象と向き合う「姿勢」だ。姿勢が整っていれば、いつか真実にたどり着く。
野菜を観察すること。見守ること。問うても頷いてくれない相手と対話するには、わずかな兆候に気付くこと、そして想像することの繰り返しだ。そんな経験を重ねて真実が見えてくる。
結局、野菜への「愛情」なくして継続しない。仲居さんの言う姿勢とは、それのことだ。
「少し時期をずらして植えた小松菜はぜんぜん違うんだよ。見に行こう」
後をついていくと、先ほどとは様子の異なる小松菜が行儀よく並んでいる。地面に張り付くようにペタッと葉を土に這わせ、身体を小さくして身構えている。
「向こうの小松菜は外葉が大きく広がって、黄変したところはもう死んでしまった。いわば秋の葉っぱなんだよ。でも後に植えたこちらのほうは、冬が来ることを感知して身構えているの。葉っぱの形や質感まで変えて生き抜こうとしている。作物ってのは季節を捉えてどんどん変化していくんだよ。すごいんだから!」
まるで、たった今その発見をしたかのように、目を丸くして関心している。
何度もこの光景を目にしているのに——。何十年も畑に立っているのに——。
何時でも純粋に感動する仲居さんの目には、たくさんのいのちが鮮やかに映っている。そんな姿に、心を揺さぶられる。
「よし行こう!」
仲居さんがひょいと立ち上がった。満ち足りた表情を湛えていた。
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