ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
前回は、アメリカインディアンの部族の社会制度を紹介しました。今回はその中で出てきた「母系社会」について考えます。
> 前回の記事はこちら 「今こそ先人の智慧(ちえ)を学ぶとき」
なぜ世界から母系社会は消えたのか
女性性を尊重しない社会は滅びる!?
前回のコラムで、イロコイ連邦をはじめとしたアメリカインディアンの多くの部族が、「母系社会」で成り立っているという話をしました。その母系社会についてさらに掘り下げてみたいと思います。
母系社会を簡単に説明すると、一般的には母方の血筋を継承していく家族であること、つまり、現代の日本は「父系社会」なので、父親から息子へと男子が家を継いでいくところ、母から娘へと女子が継いでいくということになり、現代とはまったく逆の制度になるということです。ただし、このように簡単に説明してしまうと単純な制度や習慣の違いと捉えられがちですが、その違いによる社会への影響はとてつもなく大きかったと予想しています。
なぜ予想と書いたのかですが、あらゆる時代を通して母系社会の歴史的な背景やその重要性を体系的にまとめた文献が、ほとんど存在していないからです。つまり現代においては、すでに遠い過去の取るに足らない制度であり、原始的な習慣の名残という程度の認識しかありません。稀に民俗学の分野など「古代から残っている珍しい習慣」という取り上げ方ぐらいにしかされません。
古代には、世界中に多くの母系社会が存在していたと言われています。現存している先住民族の中でも母系社会を継承している民族の分布を見ると、熱帯地方に多く集中しており、寒帯地方では少ない傾向があるようです。また、農耕を中心とする民族に母系社会が多く、牧畜を中心とする民族には少ない傾向があります。これだけを見ると、温暖な地方で農耕を営む民族には母系社会という構造が適していたのかもしれません
さて、母系社会の大きな特徴をまとめると、部族の長は女性であり、その女性が部族内をすべて取り仕切り部族全体に大きな影響力を持っています。しかしその内部は非常に民主的に運営されており、決して封建的ではなく、すべての者に寛容な社会を築いています。
中国雲南省の奥地に存在する「モソ」という民族は典型的な母系社会を継承していますが、その特徴を見るのが分かりやすいと思います。まず、結婚という制度がないため夫婦という関係性もなく、その概念すら存在しません。ではどうなっているかというと、「走婚」つまり「通い婚」になっているのです。男性は好きな女性の家に通いながら、というより女性が好きな男性を呼び、関係性をつくります。最低限のルールがあるにせよ、一緒に住むのも自由だし、その関係を終わらせるのも自由なのです。もし子供が出来た時は女性の家族が皆で育てることになり、男性には一切の養育の義務はありません。父親が誰であるかは重要ではなく、誰が産んだのかが大切にされます。
このような習慣を現代の常識的な目線で見てしまうと「これで社会が成り立つのか?」という疑問が浮かぶと思います。民族の構成はシンプルで農耕を中心とした社会なので、必要以上に現金収入を必要としていないから成立していたという背景もあります。また男性の存在感がないわけではなく、地域社会の中でしっかり役割があり責任ある仕事が任されています。ただ、至って自由であるということ。前述のように男女関係だけではなく、すべての人間関係が、とてもおおらかで寛容な社会を築いていたということです。この傾向はモソだけではなく、多少の違いはあれ母系社会を築いている民族ですべてに見られる傾向です。
かつての日本も平安時代までは明らかに母系社会を築いていたといえます。おそらく当時は一部の貴族や武士階級を除き、明確な結婚の制度もなく女性が家系を継いでいました。源氏物語をご存じの方ならその時代背景が何となく分かると思いますが、あまりに自由奔放な暮らし方に理解に苦しむ部分があるのではないでしょうか。もちろん物語として脚色されている部分もあるでしょうし、貴族の話なので特殊な環境ではあります。少なくともとても自由な人間関係を許容する社会があり、個人的な人間関係に留まらず、社会のあらゆる仕組みの中に平和的な影響を与えてきたと考えています。
では、なぜそこまで定着していた母系社会が消えていくことになったのでしょうか。ここからは私自身の推測も交えて進めていきたいと思います。
世界的にみると人々の生活習慣や社会的な仕組みに大きく影響を与えた出来事は宗教の広がりです。有史以来、世界に急速に広まった宗教には女性を蔑視する内容がとても多いことに気が付きます。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・仏教にいたるあらゆる主な宗教で経典の中に明確に女性蔑視を記述しており、表向きは平等と教えながら本質的に男性から劣っている存在であると位置づけていることから、とても矛盾をはらんでいます。神道についても穢(けが)れという考え方があり、例えば相撲の本場所の土俵には女性が立ち入ると穢れるという理由から厳しく禁じています。
もちろん宗教もその時代とともに内容の解釈や記述が変えられてきているので理解は様々です。宗教の発祥初期からそのような教えがあったかは定かではありません。ただし、世界的に共通していることは、みな同じように男女の関係性に抑圧的な厳しい戒律を設けて、女性の位置づけを低く保ち、同時に善悪の概念を強力に植え付けてきたと言えるでしょう。
日本も平安時代以降、本格的に仏教が普及してきたところから、明らかに父系社会への転換が起こりました。それが直接的な要因と断言できませんが、やがて戦国時代へと移り変わっていきます。
ではなぜ、そもそも多くの宗教が女性を蔑視してきたのでしょうか? ここは大いに想像力を膨らませる必要がありますが、それは主な宗教が常に権力と結びついてきたという経緯があります。
歴史上、常に政治が宗教を利用して、逆に宗教も政治を利用してきました。時の権力者たちは民衆をコントロールするのに宗教を使い、宗教にも様々な便宜を図ることで関係性を強固にして、必要であれば教義を書き換えてでも目的を達成させようとしてきました。当然ながら権力者やそれを取り巻く者たちは、その体制に反対する人々を物理的・政治的に抑圧しました。
しかし、どうしてもコントロール下に置けない勢力がありました。それが女性だったのです。まだ母系社会が色濃く残る社会であっても政治的には優位な立場になっていた男性が、すでに社会全体に浸透していた女性の影響力を弱めることが出来ないため、宗教の力を使って存在そのものを低く劣ったものとして定義しました。つまり権力者はそれほど女性の力を恐れました。
中世のヨーロッパを中心に起こった魔女狩りはまさにそれを象徴する出来事であったといえます。人並み外れた霊的能力や知識をもった女性を魔女や悪魔の使いとして仕立て上げ、社会を惑わすものとして民衆の恐怖を煽り、社会的に影響力のある女性を抹殺してきたのです。
ここまで読んだ方は、「では父系社会というのはそんなに悪い仕組みなのか?」と思われるかもしれません。実はそうではなくて、現代社会の中で父系社会を形成する男性性の要素が強くなり過ぎたということです。古代では母系社会と父系社会が共存していた形跡が多くみられており、中には双方が混ざった習慣を持つ民族もあります。
近代では、その男性性の特徴である論理的・競争心・実力主義・結果重視などの傾向が過剰になり、社会の中で常にその条件に合うように生き方を要求されます。更に付け加えると、宗教の普及とともに貨幣経済が強力に広がり、社会を構成する要素として最も大きな影響力を持つことになったため、なおさら男性性を増長させることになりました。戦争や民族的な争いが絶えないことも、男性性の過剰という問題が根底にあるからではないでしょうか。
女性への差別や蔑視や抑圧的な行為は、明らかに男性性過剰の結果であり、逆に言えば女性性の欠如の現れです。これは生物学的な男と女の違いの問題ではありません。どちらにも男性性、女性性の両方が備わっているからです。
長い歴史の様々な場面で女性(性)が犠牲となってきた事実があります。犠牲とは、その犠牲の下に社会が成り立ってきたという意味です。さて、それを犠牲にして得てきたものは何でしょうか。国家の軍事的な強さでしょうか? 経済的な強さでしょうか?
かつて男性性優位と見られる帝国が数多く誕生しましたが、ことごとく衰退・滅亡していきました。その一方で目立たないながらも女性性を大切にする平和な国家も存在していました。歴史の年表にはまったく出てこない史実ですが、帝国の栄枯盛衰を学ぶより、なぜ平和な国が存続していたかを学ぶことに価値があると思います。そうすれば、かつて理想的な母系社会を築いていた日本が、世界に先駆けて出来ることが自ずと見えてくると思います。
【参考資料】
『女たちの王国』 チュウ・ワァイホン著 草思社
『平安朝の生活と文学』池田 亀鑑著 ちくま学芸文庫
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