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我、四十にして主夫となる

私とナチュラル・ハーモニー

2023.12.20

はじめまして。
私の名前は「イシマン」。

本来ならばここで自己紹介をするのが筋でしょうが、そもそも、この連載が続くのか?否か?
可能性として、一回打ち切りもありうるのではないか?
もし仮に、一回で打ち切りになったとしても「恥(羞恥)」が残らぬテキストにせねばならぬっ!そんな思いより、自己紹介ではなく「私とナチュラル・ハーモニーについて」を少しばかり書かせていただきたい。

さかのぼること十数年、30歳を目前にして私は、勤めていた真珠養殖コンサルティング会社を退職し、毎日家で海外ドラマを見まくっていた。当時最高に盛り上がっていた海外ドラマは「プリズンブレイク」だった。いわゆる「脱獄モノ」。シーズン5まであるので無職転生中には是非ともお勧めしたい。

そんな無職を謳歌していたある日、たまには本でも読んでみようかな?なんて、いわゆる魔が差したわけだ。普段であれば司馬遼太郎や池波正太郎をはじめとする、時代小説の中でも文豪どころしか読まない偏向読書家の私なのだが、なぜかその日は妻の本棚にあった真新しい本を手に取ることとなる。

「アンチエイジングの鬼プレミアム 」(著 勝田小百合)

簡単に説明すると、美容系の本である。
内容としては、単に方法や技術やお勧めのツール紹介にとどまらず、そもそも自身の身体を作っているのは日々の生活(運動)(食事)(睡眠)など基本的な部分であることを再認識させるような内容だったと記憶している。

30手前のオジサン予備軍だった当時の私にとっては、正直、オモシロいと思いながら読んだ記憶は無いのだが、なぜか記憶に残るものがあった、それが「食」に関するコトだった。
そのくだりの中で様々なお店、いわゆるおススメ食材の購入先を掲載しているのだがその一つに「ナチュラル・ハーモニー」があったわけだ。
いくつか商品写真が挙げられているのだが、正直、写真と説明だけでは何にも理解できなかったし、私の記憶に強烈なメモリーを残すことは無い。しかし、参考価格を見たその瞬間に衝撃が走ったわけだ。

 

「え~~~~!!!ミ〇カ〇酢の10倍する~~~~!!!」

あっ。ミ〇カ〇はダメだろうか。
オフィシャルサイトでのコーナーだから駄目だろうな。。。(伏せ字にしたらオッケーになった笑)

私の記憶での価格なのだが、一般的な穀物酢が500mlで160円くらいの当時、ナチュラル・ハーモニーのお酢は『1600円』くらいしていた(記憶でスミマセン)。

今となってはコノ「一般的」という概念自体が、私自身が私の価値観で生み出した「一般」ではなく、企業やメディアの流すCMがつくり上げた他人の基準値であることを理解するのだが、当時の私にとっての一般的なお酢の代表は「ミ〇カ〇酢」だった。

「ナチュラルライフ」「オーガニックライフ」と一言にいっても、その切り口は多様である。
そして今は「ハーモニックライフ」なるものまでも。

「衣」「食」「住」をはじめ、細分化したらキリがないほどに現代は不自然な暮らしがまかり通り、知らぬ間に疲弊している。

そして、その入り口も多様である。

「出産・育児」「病気・療養」「エコ・環境問題」これまたキリがない。

私の入り口は、異質だった。
上記にあげたように「価格」への驚きと、興味だった。例えるならば、

後頭部を鈍器のようなモノで殴りつけられたような衝撃と共に生まれた興味だった。
そう、けっして鈍器ではない。
鈍器のようなモノである。

この「ようなモノ」っていう言葉を付けることによって表現を濁す日本人らしさは大変重要であり、本稿でも重要な位置を占めている。

例えば私こと「イシマン」はナチュラル・ハーモニーのオリジナル商品である「お酢」によってこの業界への興味を抱いたわけなのだが、読者が興味をそそるようにテキスト化するとこうなってしまう。

当時の私の感覚では『お酢』なんてもんは200円もあれば買えるものだとタカをくくっていたのです。
しかし、正直、目ん玉が飛び出るかと思いましたね~。
だってね、たかだか500mlのお酢がですよ。
料理をしない男性にとったら、中華料理屋で餃子に使うしか用法を知らない、あの『お酢』がですよ。
なんとっ! 1600円 もするんですよ。
いやぁ~驚きを通り過ごして鈍痛でしたね。
例えるならば、【後頭部を、お酢のようなモノで殴りつけられたような衝撃でしたね】あの時の感覚は。

いかがですか?

「ようなモノ」が入ることによって、お酢ではなく、お酢みたいな、まるでお酢かもしれない、メイビーお酢、くらいにグレーな表現を生み出すことが可能なわけです。

日本人は白黒つけない表現が得意です。
これは敵を生まない表現としても重要ですし「わびさび」といった日本人らしさにも欠かせない表現方法だと思います。

しかし、私たちの生活に「グレー」は必要ないとイシマンは思うのです。

ホンモノとニセモノの間を企業は好みます。

本物は「高い」「時間がかかる」「数を作れない」
偽物は「安い」「早くできる」「大量に作れる」

消費者は好んで「本物のようなモノ」を手に取ります。
すると、企業や社会はソレが受け入れられた、賛同されたと勘違いをし、ますます増長していきます。

いつしか、本物のようなモノが台頭し、標準化され、一般化される。私にとっての基準が「ミ〇カ〇酢」であるように。
逆に、本物があたかも高級な嗜好品のように見られ、富裕層向けの商品として蔑視されるわけだ。

私は、いわゆる自然派ではなかった。今でも多分そうだと思う。
コトの始まりは

「なんでこんなに高いんだろう?」
「スーパーの100円の小松菜と、ここで売ってる300円の小松菜の違いは何だろう?」だった。

大人になって社会に出ると「疑問」は邪魔になる。
子供のころは「なんで?なんで?」と親や先生に聞いて回っていた子も、だんだん聞かなくなる。
モチロンその受け答えをないがしろにする大人も悪い、しかし、人間なんてものは疑問があるから生きているようなもんで、考えているようなもんで、日々「疑問」は無限に生まれているのに、それにフタをする技術が大人になると身についてしまう。

上司に、毎回々々、仕事の「疑問」をぶつけていたんじゃ、疎まれて出世の道も遠かろう。しかし、せめて、私たちが日々口にしている、命の糧たる食べ物への疑問にフタをすることが無いようにと願いながら、私はこのテキストをつづっている。

そう、そんな壮大なテーマをないがしろにするほどの、くだらないテキストを目指しながら日々ハーモニックライフと主夫を謳歌しているイシマンの新コーナー

 「我、四十にして主夫となる」(われ、しじゅうにして、しゅふとなる)

始まります。どうぞよしなに。

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