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料理人

En(エン) 鳥海 将彦さん 「その一皿に想いを込める」

2017.05.29

JR高田馬場駅から少し離れた場所。学生が多く行き交う賑やかな街の一角にイタリアン・レストラン「En(エン)」がある。深いグリーンの屋根。店の花壇には、手入れの行き届いた植木が行儀よく並んでいる。


「もともとは野球選手になりたかったんですよ」。
笑顔で話すオーナーシェフの鳥海さん。野球を始めたのは小学4年生の頃。プロ野球選手を夢見て、学生時代は部活漬けの毎日だった。

野球の強豪校だった高校に入学し、ひたすら練習に励んだ。監督の厳しい指導の下、体力作りの基盤である走り込みは夏も冬も毎日続いた。
「人生であれほどきついと思ったことはなかったですね。それに比べたら下積み時代や今の仕事も、肉体労働とは思えないくらい。監督には本当に感謝しています」。当時を振り返る。

高校卒業後、野球の名門大学の入部試験を受けに行ったが、周囲との実力の差を思い知らされた。今まで野球一筋できた鳥海さんにとって辛い現実だった。しかしそれならばと、当時イチローが大リーグ移籍で大きな話題になっていたこともあり、野球選手と関われる通訳になりたいと思った。英米語学科のある大学に進学したが、大好きだった野球のように気持ちが入らなかった。なぜなら語学よりも夢中になったものがあったから。野球を辞めてから始めた焼肉屋のアルバイトだ。調理をすることが楽しくなり、そこから「食」に興味を持ち始めた。料理の世界に憧れるようになった。

「どうせやるんだったらかっこいいものをやりたい」。
日本のシェフたちがイタリア料理を作る姿に強い憧れを抱き、鳥海さんはイタリア料理人を志すようになった。
当時21歳。イタリアンを学ぶのなら本場で修業しようと思い、大学を辞めた。千葉のレストランで働き、資金を貯め始める。レストランと居酒屋を掛けもちしたりもした。3年後、念願だったイタリアへ渡った。

2月。頬を刺すような冷たい風が吹きつける極寒のミラノに降り立った。
友人や現地の人伝いに働き口を聞き回ったが、なかなか見つからず路頭に迷った。自炊しながら、語学学校に通う日々。職を探す生活は2~3ヶ月続いた。

そんな中、以前日本で知り合った人の紹介で、自然栽培や有機栽培と同等の野菜を使いミシュラン一つ星を獲得し続けている名店、「JOIA」のシェフを紹介してもらう。イタリア料理人への道が開いた時だった。

JOIAでは、添加物を含まないこだわりの食材や調味料を使用していた。野菜がメインの料理が店の売り。肉や魚を使った伝統的なイタリアンを学びにきたはずが、自分の夢見ていたものとは違うことに最初は違和感があった。しかし、後にその考えも吹っ飛ぶことになる。
当時はお金もなく、レストランの賄いなど野菜中心の生活をしていた。始め、そんな食生活に少し物足りなさを感じた。日本にいた頃はラーメンやコンビニ弁当ばかりの生活だったため、濃い味に慣れてしまっていたからかもしれない。自然に近い食材にばかり囲まれた生活を送るうちに、身体の変化と食に対する考え方も変わっていった。

「賄いも肉や魚は出なくて、野菜だけだったんです。そしたら半年とか1年くらいしたら体が軽くなっていて。調子がいいぞって思うようになって。やっぱり食って大事なんだと感じました」

また、言葉の壁と文化の違いにも苦労した。仕事を覚えて仲間と溶け込めるよう、言われて耳に入ってきた単語はその場ですぐにメモした。帰宅後に電子辞書で単語を調べた。覚えた単語を増やして自分のものにしていった。
仲間と徐々にコミュニケーションがとれるようになると仕事も楽しくなり、いっそう料理への気持ちも強くなった。

料理以外で、ひとつ鳥海さんがとても印象に残っていることがある。それは、シェフとメルカート(市場)に野菜調達に行ったときの事だ。
シェフが急に駆け出した。その先には、排泄物にまみれた老人がトイレで倒れていた。驚き立ち尽くしている鳥海さんを余所に、シェフは的確に周りに指示し救急車を呼んだ。老人が病院まで運ばれひと安心、と胸をなで下ろしていると、更にシェフは驚きの行動に出る。汚れたトイレをモップで掃除しはじめたのだ。人命救助にとどまらない、思いやりのある姿を見て、この人の精神を見習いたいと強く思った。だから自然な素材を使って、素晴らしい料理を作り出せるのだと。料理にとどまらず、生き方の指針ができた出来事だった。
「本当は日本に帰ってくるつもりはなかったんですよ」。父親の病気が発覚し、更に以前交流のあった店のオーナーからもシェフとして新しいお店を手伝ってほしいと誘いを受けた。
イタリアで4年を過ごし、帰国した。

イタリアでの修行中、日本に帰省する機会が何度かあった。コンビニで何気なく手に取ったおにぎりを見て、愕然とする。原材料が添加物だらけだったのだ。パンにいたっては、その倍の添加物がつかわれていた。
「入れなくてもいいものばかり。こんなの絶対におかしい!」。自分がイタリアで学んだ事を発信していこうと決めた出来事だった。
多くの人に野菜本来の味わいを知ってもらうため。任された店のコンセプトは、自然栽培の野菜を使うことが大前提だった。ふと立ち寄った本屋でナチュラル・ハーモニー 河名 秀郎の著書に出合った。強く衝撃を受け、卸してもらえるよう何度も出向いて取引が始まった。

オープン当初はお客さまが1人や2人は当たり前。売り上げも少なく、苦しい時期が続いた。テレビや雑誌の取材が重なったこともあり、徐々に客足も伸びてきたのは半年が経過する頃だった。
お店の看板メニュー「自然の恵み12種盛」は、料理一つひとつが繊細で息を飲むほど。着色料など使わず野菜だけで美しさや美味しさを出せることを一皿で表現したかったそうだ。
素材を選ぶこだわりは、自然栽培の野菜を使うこと。特に好きなのは茨城県の田神俊一さんの野菜だそう。
もちろん全てを好きなもので揃えることは難しい。有機野菜も併用しているが、今では食材の3分の2を自然栽培が占めている。それらをどう活かすかは、実際に食材を食べてからどんな調理法が適切か判断する。野菜が少ない端境期は、豆類・大豆ミート・切り干し大根などの乾物を使用して乗り切っているという。 

鳥海さんは2016年にこの店を買い取り、オーナーシェフになった。
以前までは、食材や食器など自由に使うことができなかった。経費に関わることは、経営を握るオーナーに計上するためだ。お客様の喜ぶサービスをしたいという気持ちを納得できる食材に反映したかったが、思い通りにならないもどかしさや葛藤があった。思いが日に日に強くなり、決断をする。いくつもの銀行に足を運んで資金を借り入れ、この店を買い取ったのだ。

オーナーになった今では、以前より視野が広がり、益々挑戦したいことが増えた。思い立ったら何でも試し、ダメだったら思考を変えてまた試してみる。そうやって自分の理想の店に近づけていく。
今後は新たなコースメニューを増やしたり、料理教室を開く予定だという。食を通して、演劇やコンサートなど色々な方とコラボレーションしたイベントもやりたいと話す。
そしてなにより、店の一角に野菜を販売するコーナーを設けることが今一番の目標だ。料理を食べた方に自然栽培の野菜を買ってもらいたい。

病気が多くなってきている現代、重要なのは「食」。身体を形成していく上で欠かせないものだからこそ、一人一人が今の食生活を見つめ直し、その大切さに気付いてほしいという。

「En(エン)」、食と真剣に向き合うシェフの優しい笑顔が迎えてくれる店。

En(エン)
新宿区高田馬場2–14–5
サンエスビル 1F
TEL : 03–5287–5991
URL : https://capolavoro.tokyo/


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