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生産者

山形県酒田市 荒生 秀紀さん 「じぶんの心で描く世界」

2017.11.20

荒生 秀紀さん…1975年山形県酒田市生まれ。自然栽培に取り組む農家・農学博士。奥さまの真央里さんと7歳・5歳・3歳のお子さんの5人家族。


日本有数の穀倉地帯である庄内平野全体が黄色く染まった景色は、まるで地上が発光しているかのようだ。ところどころに見える四角く赤い塊は、轟音を立てながらゆっくりと進む。年1度の見せ場で輝くコンバインだと、遠目でもわかった。

「色んな場所で米づくりをしてみたいなぁ。アジアなら水田があるから、そのどこかでやってみたい。でも出不精だから家にいるのが一番なんだけどねっ」。豪快に笑う荒生 秀紀さんは自然栽培に取り組む生産者であり、農学博士でもある。

田園風景が広がる集落の中に、農業を営んできた荒生家がある。50数年ぶりに待望の男の子として生まれた荒生さんは、とても大切に育てられてきた。欲しいもの・食べたいものは自由に与えられ、不自由なく日々を過ごした。祖母からは、「長男なんだからね」と事あるごとに言われたのを覚えている。
「自分はずっとこの家に住み続けていいんだ」という安堵感を得ながらも、姉よりも大事にされている事に後ろめたさを感じていた。
大切に扱われつつ、身体は病弱で学校も休みがち。どこかコンプレックスを抱えて過ごしていたと少年時代を振り返る。

「こんな自分も受け入れてもらえるんだ」。そう思ったのは、5年制の工業高等専門学校に入学してからのこと。個性的なクラスメイトに囲まれていると、自分の存在も認められていくようだった。

18歳で二輪車の免許を取得すると、廃車寸前のバイクを求め、修理するのに没頭した。誰も乗っていない古い型を手に入れ、壊れた部分を探しては修理する。直したバイクに乗って「かっこいいね」と声をかけられれば、それを売って別のバイクを買う。そんなサイクルがどうにも楽しく、好きな場所に自由に連れて行ってくれる存在にも心を掴まれていた。土地に留まらねばいけないという刷り込みからの反動か、心はいつも自由を求めていた。

卒業後は20歳で塩化ビニルを扱う工業会社に就職。素材の商品開発研究に打ち込んだ。仕事には夢中で取り組んでいたが、相変わらず体調は思わしくなく、欠勤することも多かった。
「このまま定年まで会社員として勤め上げられるのだろうか」。いつもそんな不安を抱えていた。後ろ髪を引かれつつ、25歳で会社を退職した。

家を継ぐためというより、まずは自分の体質を改善しようと実家に戻ることを決めた。祖父の管理していた水田の一部を借り、自分で食べるための米づくりを始めた。自己流で有機栽培を実践し、その後地元の栽培グループに所属する。就農3年目から本格的に栽培面積を広げていった。
この間、食や東洋医学を勉強し、気付けばずいぶん体調が良くなっていた。農業に携わり、健康的な生活リズムで過ごすようになったことも功を奏した。

一方、米づくりでは壁が立ちはだかっていた。イネミズゾウムシが水田に大量発生し、植えたばかりの苗を食べてしまう。除草作業に集中したい大切な時期で、枯れた苗を植え直す作業に追われる状況に、毎年憂鬱になっていた。
「でも、高い値段で買っていただくお米だから、苦労もして当然と自分に言い聞かせて続けましたね」。苦い記憶を振り返る。

原因が水田の異常醗酵という事はわかっていた。しかし打開策も見出せず、米の収穫量も落ちていった。
そんな時、地元で環境保護のサミットが開催されることになり、荒生さんもスタッフとして参加することになった。会場となったのは山形大学農学部。そこで教授をしていた粕渕 辰昭さんに出会う。
土壌物理学が専門の粕渕教授は、水田研究に興味を持ち始めていた時期で、退官までの残り2年で共に研究に取り組む農業従事者を探していた。

「一緒に研究しませんか?」。荒生さんは粕渕教授に大学入学を薦められる。はじめは勉強などと気乗りしなかったが、断ることもできず、社会人枠として山形大学に入学することを決めた。

まずは、当時荒生さんが抱えていた水田の問題解決に向けて、2人で研究を開始した。その傍ら、荒生さんは授業にも通った。
2人は異常醗酵の原因が肥料にあると考え、それならば肥料のなかった時代の農業を調査することにした。古い文献を読みあさっては、浮かんだアイデアを実験水田に投影して記録を取った。

その後、荒生さんは肥料に頼らずとも施肥と同等の効果のある技術を研究テーマにして、修士課程を卒業。
「根詰めて研究に打ち込んでいたということではないんです。教授と一緒にいるのが本当に楽しくて、ズルズルきてしまいました(笑)」

現象に対する物事を捉える力・観察眼に長けている粕渕教授と過ごす時間は何とも心地良く、家族ぐるみの付き合いをするほど仲が良いそうだ。
そして荒生さんは岩手連合大学大学院に進学し博士課程も卒業、現在に至る。

「農業が面白いからって面積を増やしたいというのではないかな。どんな農家になりたいかというと収入よりも時間がほしい。なんで肥料がなくても育つのかを考えるのが面白いから」。

起こる物事を、全て自分が招いたことと考えると結果が変わるという。その思考で自分の行動を変えると結果もまた違ってくる。そんな事をこれまでの歩みの中で実感している。
また、稲が自分の歩幅で淡々と生きる様子が、人生の手本にもなっているという。養分を獲得しようと、じっくり根を伸ばして自力で育ってゆく様がわかる。そんな姿を間近で見られることも醍醐味だと語る。

「なんでみんなやらないの?って聞きたいくらい、自然栽培は楽しい。できる作物は美味しいし、仲間も増える。こんなに幸せなことはないです」
土地に縛られ自由が奪われると思っていた農業。いつの間にか苦手意識もなくなっていた。

「農業ばかりが縛られていると思い込んでいたんだけど、そうじゃないって。栽培方法と考える力と水田があれば、どこでも米づくりはできる!とふと思ったら、ものすごく自由だなぁと気がついた。考え方ひとつで世界は変わるんです」

あれほど好きだったバイクには、今ではほとんど乗っていない。
自由か自由でないか。
すべて自分で決めることだ。


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