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ライフジャーナル(大類久隆)

綿から読み解く物語 ガンジーのチャルカ

2026.02.10

ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、インドのマハトマ・ガンジーが、生涯大切にした糸車(チャルカ)に託した、資本主義への警鐘と綿の壮大な物語をお送りします。


ガンジーと糸車:マーガレット・バーク=ホワイト—LIFE Picture Collection/Shutterstock

 

綿から読み解く物語 ガンジーのチャルカ

世界を変えたガンジーの糸車
自然と人間をコストにしない生き方

インド独立の父と呼ばれたマハトマ・ガンジー。彼は生涯において資産も不動産も持つことはなく、個人的な所有物は、わずかな身の回りのものだけでしたが、その中に持ち運び式の糸車(チャルカ)がありました。ガンジーは毎日、みずから、その糸車を廻し、糸を紡ぐのを日課にしていたのですが、その意味するところは、単なる作業ではなく、チャルカは自立の象徴であり、植民地主義と資本主義への非暴力の抗議だったのです。では、なぜ糸を紡ぐという素朴な行為が、それほど大きな意味を持ったのでしょうか。そこには、世界を巻き込んだ「綿花をめぐる帝国の物語」がありました。
綿は資本主義の拡大にとって不可欠な原料であり、近代における綿の歴史は資本主義成立の歴史といってもよいでしょう。


インドとイギリスの100年戦争


綿つまり木綿は、その種子から取れる繊維を紡いで糸にします。古来より伝わってきた綿栽培や糸を紡ぎ綿織物にする技術は、その地域の暮らしや文化を形作る意味で重要な背景を持っています。木綿栽培の最も古い痕跡としては、メキシコやインド周辺で発見されており、約7000年から8000年前と言われています。特にインド、パキスタン、アフガニスタンなどインダス川流域で興ったインダス文明により木綿産業の技術はかなり発展しており、そのとき生まれた紡績や織りの技術がインドで比較的最近まで使われてきたと言われており、長い間インド産の綿布はインドの特産品でもありました。

17世紀にイギリス東インド会社がインドの綿織物を積極的に輸入しはじめ、イギリスで安くて軽く、洗濯が容易なため大衆の間で大流行しました。しかし、それまでイギリスの主要産業であった毛織物が大きな打撃を受けたことで、綿織物が輸入禁止になることになります。その後18世紀になり再び綿織物の需要が急増したことで、イギリスは本格的に国内での機械化された工業生産に力を入れることになります。当初イギリスは、インドから綿織物を輸入していましたが、綿産業が産業革命による最初の主要な工業製品となって大量生産されることになります。

これにより、インドからは原料の綿だけを輸入して国内で綿織物として大量生産し、国内で飽和状態になったことから、イギリスの植民地に向け輸出されることになります。安価なイギリス製の工業生産綿織物が大量に輸入されることになったインドでは、それまで家内工業的であった綿織物は大きな打撃を受け、綿産業は破壊されることになります。18世紀の終わりごろから、このような状態が続き、インドは完全にイギリス資本主義の原料供給地として組み込まれ、綿産業に従事する人々が深刻な貧困に陥ることになりました。

この状況が、20世紀の初頭まで続くことになりますが、その後イギリスの植民地支配に対する反英感情が高まり、やがて民族運動は暴力的な形でも広がっていきます。当然イギリス当局の弾圧が厳しくなり、一時的に反英運動は沈静化することになりましたが、1920年代になりガンジーの指導による非暴力・不服従による反英闘争が多くの支持を受け展開されていくことになります。


南北戦争と形を変えた奴隷制


一方アメリカでは18世紀以降に南部の中心産業として、綿栽培のプランテーションがアメリカの独立後の経済を支える重要な産業となっていました。アメリカは白人の開拓者が先住民族のインディアンを排除することで得た土地に入植し、黒人奴隷労働によるプランテーションの経営を重要な位置づけとしていました。

その後、19世紀になりイギリスがアメリカの貿易を妨害したことが発端となって米英戦争が起こります。これを契機に、アメリカでは産業と経済の自立が強く求められるようになり、南部の綿プランテーションがさらに拡大することになります。これにより、労働力が不足して、さらに黒人奴隷に依存することになっていきます。

やがて、黒人奴隷制度や自由貿易を維持したい南部に対して、反対する北部との間で対立が起こり南北戦争へとつながることになりますが、南北戦争中に奴隷解放宣言が発せられ、黒人奴隷制が廃止されることになり、多くの奴隷労働者が綿プランテーションから離れ、一時綿産業は大きな打撃を受けることになります。

しかし、黒人の自立する生活基盤が与えられなかったため、その多くは再び綿花プランテーションに戻って来ることになりましたが、かつてのように奴隷として雇えないため、シェアクロッパー制度という小作人制度を作り出し、身分としては奴隷から解放されましたが、貧困から抜け出すことは出来ませんでした。これにより、黒人は事実上、綿プランテーションに縛られ、借金返済のために働かざるを得ない「借金奴隷化」ともいえる構造的な貧困状態が続くことになりました。
                                                                                                                                                                                                                
このように、インドやアメリカで状況は違いながら18〜19世紀、綿花は資本主義の拡大にとって不可欠な原料だったといえます。国家権力と暴力、そして搾取によって構築されたこの綿の帝国が、近代資本主義の基盤となったのです。


大量生産がもたらした環境破壊の現実

では、現代の綿栽培がどのように変化して、どのような問題を抱えているのでしょうか。現在世界の主要な綿花生産国は、インド、中国、アメリカとなっており、この3ヶ国で世界の生産量の約70%を占めています。

現代の綿の栽培は、より大規模化や効率化が進んでいます。かつて手作業が中心でしたが、現在ではコットンピッカーなどの収穫機械が導入され、大規模な栽培が可能になりました。その一方でいまだに手作業に頼る地域もあり、低賃金労働や児童労働による問題も起きています。また、灌漑技術の進歩により、降水量の少ない地域でも栽培が可能になっています。同時に環境負荷も高まり、遺伝子組み換え綿や農薬の使用や水資源の枯渇といった問題も浮上しています。

まず、水資源の問題ですが、他の作物に比べて多くの水を必要とするため、1kgの綿を生産するのに必要な灌漑用水の量は、世界平均で1,931リットルが必要とされています。そのため、もともと水資源が乏しい地域での過剰な水の利用が、河川や湖沼の水位の低下につながり、地域の環境に大きな影響を及ぼすことになります。20世紀最大の環境破壊と言われる、カザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖「アラル海」は、かつて世界第4位の湖面積があったものが、旧ソ連時代の無理な綿花栽培の灌漑によって、半世紀で10分の1にまで干上がり、漁業が壊滅状態になり、周辺の環境も砂漠化が進むなどして、塩混じりの砂を吸い込むことで、住民の健康被害が多発しました。これは、綿花栽培が軍事産業の重要な位置づけとされていたことによる、無謀な計画の結果、起きた悲劇です。

次に農薬の問題ですが、遺伝子組み換えの綿であることの影響が大きいのですが、すでに世界の栽培面積のうち、遺伝子組み換え綿が約76%を占めています。日本はほぼ100%近くを輸入に頼っていますが、輸入されている約92%が遺伝子組み換えです。そもそも遺伝子組み換え綿を使用する目的は、生産性の向上、病害虫への抵抗性の強化、除草剤耐性の獲得という理由からですが、殺虫剤や除草剤などの農薬の使用量は、世界の耕作地のうち、綿の耕作地の面積はわずか2.1%にもかかわらず、世界の殺虫剤の16%、除草剤の7%が綿栽培で使われています。

農薬や化学肥料の過剰使用は、土壌の微生物の死滅や、土壌に浸透することで地下水が汚染されるなど、環境に大きな負担がかかっています。また、長期間にわたって殺虫性のあるBt作物が栽培されると、害虫がBtタンパク質に対する抵抗性を獲得することで、新たな害虫を発生させる可能性があり、結果的に殺虫剤の使用量が増えてしまうことがあります。また遺伝子組み換え綿の種子は、自家採種することができないため、毎年使用する種子と農薬や化学肥料を併せて購入しなければならない経済的な負担にもなります。

さらに人権問題や労働環境の問題として、特に最大の生産国であるインドをはじめ発展途上国の児童労働が指摘されており、過酷な条件の中で低賃金による長時間労働を強いられています。安い労働力として利用されている理由には、家庭の貧困のために働かざるを得ない事情がありますが、これにより学校に通うことができず、必要な教育が受けられないこと、長時間農薬に曝されることによる健康被害も後を絶たず、適切な治療も受けられない状況があります。そして多くの犠牲者が女の子である点も深刻です。

「安さ」の対価を支払うのは誰か

現代の綿産業における問題の数々は、利益の最大化を目的とするための経済効率を優先した結果といえます。構造的にアパレル業界の上位に位置する、繊維メーカー、商社、衣料品メーカーが、綿花の価格決定に大きな影響力を持ち、生産者は常に不利な立場に置かれることになります。さらに発展途上国の綿産業に従事する人々の貧困化の問題の背景には、綿花の市場価格の低さがありますが、その要因の一つとしてアメリカの綿花の値段の低さがあります。アメリカが公的に巨額の補助金を綿花生産者に与えていることから、アメリカの農家は、より機械化、効率化を進め非常に安く綿花を売り、補助金により安定した収入を得ることができるのですが、一方でインドや西アフリカにある小規模綿花農家にとって国際価格の低下が死活問題になります。

こうした現代に至るまでの綿花栽培は、今も昔も同じ問題の構造の中にあるといえます。それは、自然と人間をコストとして消費するシステムであり、かつて奴隷労働や植民地支配によってコストを極端に抑え、その結果、ヨーロッパの工場は安価で安定した原料供給を享受し、機械化により大量生産を可能にしていました。その搾取的なシステムの延長線上に現代のグローバルサプライチェーンがあるといえ、綿がグローバル資本主義における効率と利潤の象徴となってしまっているということです。


ガンジーのチャルカに希望を託した思い

マハトマ・ガンジーは、糸車「チャルカ(charkha)」を手に糸を紡ぎ続けたのですが、彼にとってそれは単なる作業ではありませんでした。チャルカは自立の象徴であり、植民地主義と資本主義への非暴力の抗議だったのです。ガンジーは、単にイギリスからの政治的独立のために闘った人ではありませんでした。イギリスに占領され、植民地化されたインドの貧困と奴隷状態の原因は、イギリスの生んだ近代機械文明をよいものだとして受け入れたインド人自身にあるとガンジーは考えていたからです。

近代の工業化・機械化は「人類にとって禍根を残すもの」であり、「必ず災いを招く」と断言していました。近代機械文明のもたらした物質的豊かさを基盤に人類の未来を描いていた当時の社会状況にあって、ガンジーは機械文明が人類を破滅に導くことを必死になって説いていました。そして、そうした道ではない真の文明を創り出す経済的・思想的基盤として、チャルカ=手紡ぎ車を掲げたのでした。

チャルカの語源は輪の中心を意味する「チャクラ」からきています。チャルカは、ガンジーの考えた真の文明を築くプロセス(構想)の中で、その中心に位置しており、「農業を百姓の胴体だとすれば、チャルカはその手足です。インドの人口の80%を占める百姓が歩む道は、この2つを守ることにしかないのです。インドを非暴力的手段で守る唯一の武器はこのチャルカしかないし、インドの本当の独立はこのチャルカから紡ぎ出されるカディー(手紡ぎ・手織りの布)なしには考えられません」と訴えています。

かつて高い繊維技術を誇ったインドの手工業は、イギリスの紡績工場で機械化され、世界中へ安価な綿布として輸出されたことでインドは壊滅的打撃を受けました。イギリスの植民地であったインドは、綿花の生産地・市場・搾取対象として再編されてしまったということです。そして、イギリスの支配によって壊滅したインドの紡績・織布産業を、村単位の手工業として復活させることで、労働の尊厳、地域経済の再構築、そして貧困層の救済の目的がそこにあったのです。

ガンジーの思想は、非暴力、自給自足、そして真の文明を追求するものであり、チャルカは、その象徴として重要な役割を果たしました。チャルカは、インドの国旗にも描かれるほどの歴史的意義を持ち、ガンジーの思想を伝える上で欠かせない存在です。チャルカは、自分たちの手で生きる力を取り戻す道具でした。

ガンジーが糸車を手に立ち上がった時代から約100年が経ちましたが、私たちはいまだに次のような問題に直面しています。グローバルサプライチェーンにおける労働の搾取、環境への過剰な負荷、資本と権力による一方的な利益集中。これは、まさに「現代の綿の帝国」ともいえる状況です。

チャルカ的生き方とは何か。ガンジーは単に布を織ることを求めたのではありません。彼が示したのは、どのように自立して生きるか、どのように周辺諸国や地域と関係性を結ぶかという倫理的選択でした。それは、できるだけ自分の手で生きること。遠くの犠牲に依存しないこと。他者や自然との関係を丁寧に編み直すことでした。これは、現代の資本主義に飲み込まれた私たちへの静かな問いかけでもあると思います。

私たちが問うべきは、「綿は自然素材かどうか」ではなく、「どのような仕組みで、誰の手で、何を犠牲にして生まれているか?」という視点が大切です。

「Khadi is not just a cloth. It is thought (カディはただの布ではない。思想である)」マハトマ・ガンジー


■参考資料:
・スヴェン・ベッカート 著 「綿の帝国」
・M.K.ガンジー著 田畑健編「ガンジー・自立の思想」
・ウィキペディア「マハトマ・ガンジー」
・同上「木綿」


文:類 久隆
ナチュラル・ハーモニーの商品部担当。
とにかく何でも調べるのが大好きです。
自称、社内一の食品オタク。
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