ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、私たちの生活の中に潜む「分断」と、これからの社会で求められることについて考えてみたいと思います。

根深い仕組みの中にあるもの
対立の乗り越えかた
7月の参議院選挙では、選挙期間前からSNS上で、特定の政党支持者が別の政党支持者を批判することや、ある候補者を攻撃するようなやり取りが、かなり見受けられました。もちろん今回だけではないのですが、参議院選挙では特に目立った印象があります。そもそも民主的な行為であるはずの選挙活動が、誹謗中傷による対立や争いにつながること自体、本来の姿からかけ離れている気もします。それだけ選挙が盛り上がって、選挙とはそういうものだと言えば、そうなのですが、本来政治とは、違った考えを認めたうえで議論を進め、合意点を探り、いかに全体の利益につなげるかであると思います。今回の選挙中の出来事は、一つの例ではあるのですが、特に政治的な分野では、思想的な分断が起きやすいと感じます。

世界に目を向ければ、人種、宗教、言語の違いなど、日本以上に複雑で分断が起こりやすい要素が存在しています。歴史上、私たち人間は、言語を使い、文化を築き、共に暮らす場所を育んできた一方で、分断され、争い合う歴史も繰り返してきました。では、人間はなぜ分断され、互いに争い傷つけ合ってしまうのでしょうか。それは、単なる「意見の違い」や「価値観の不一致」ではなく、もっと根深い仕組みの中に原因があるのかもしれません。
歴史を振り返ると、「分断」はしばしば、意図的に利用されてきました。例えば、ローマ帝国では「分割統治」という政治手法が用いられました。これは、民族や地域を細かく分け、互いにあえて対立させることで、統治する側に対して大きな反乱や連携を起こさせない方法です。つまり人々が争い合っている間は、上に立つ者にとって都合がよかったのです。近代では、アフリカの植民地支配や、旧ユーゴスラビアの民族紛争なども、外から持ち込まれた「分割統治」の手法が、後の内戦や虐殺の火種となりました。過去の多くの民族紛争や国家間の対立が、その名残と言えます。民族、宗教、階級、イデオロギーなど、「私たち」と「彼ら」という線引きが、人の心に極度の恐れや憎しみを生み出してきました。

今も続く見えない分断の構造
では、こうした構造は過去の話なのでしょうか。実は、私たちが暮らす現代社会にも、形を変えて存在しています。たとえばSNSでは、自分と似た考えを持つ人ばかりが表示され、異なる意見には触れにくくなる「情報のバブル(フィルターバブル)」と呼ばれる現象です。ワクチンの是非や政治的立場、環境問題など、意見が対立しやすいテーマでは、「違い」をきっかけに人々の意見が分かれ、互いを攻撃し合う姿が目立ちます。特に「善と悪」、「正義と悪」のように単純な二項対立的な考えに陥り、多くの問題を解決から遠ざけていることが、過去から形を変えて続いていると言えないでしょうか。
また、視点を変えてみて、学校や社会の中で意見が分かれた場合に、単純な二つのカテゴリーに分類してしまう傾向があり、多数派の意見を「良い」とみなし、少数派に同調圧力をかける可能性があります。教育現場や社会では、意見や考え方の多様性を尊重しようとしながらも、結果的に少数派の人が意見を言い出しにくい構造があり、ある種の集団的心理の同調圧力を生み出すことで、無自覚に人々を分断して、少数派の意見の人を孤立させるかのような状況を作り出すことがあります。

対立から合意・共感する社会へ
しかし本来、違いがあることは悪いことではありません。民族、宗教、性別、世代、考え方など、私たちは本来、異なる背景を持った存在であり、重要なのは、それらの違いをどう捉え、どう向き合うかです。争いが起きるのは、違いそのものが問題なのではなく、「違いがあること=敵・悪」という考え方にすり替わってしまうときです。つまり、分断とは「違いの否定」によって生まれます。そして、それに抗うためには、「違いの承認」が必要なのです。これからの社会で求められるのは、「対立しないこと」ではなく「対立をどう超えていくか」という意識のあり方です。意見や立場が違っても、互いの背景を理解、共感して、そして「問題の本質がどこにあり」、「どこに合意点を見いだせるか」を探すこと。それが、人と人が共に生きていくための鍵です。
人はひとりでは生きられません。だからこそ「違い」を恐れず、丁寧に向き合い、分かり合おうとする努力を重ねることが必要です。分断という仕組みが今も社会の中に潜んでいることに気づいたとき、私たちにはそれに加担するか、それとも違う道を選ぶかの選択肢があります。誰かと違うからこそ、学び合えます。立場が違うからこそ、より深く考え合うことができます。
「対立ではなく、合意を」
「攻撃ではなく、共感を」
その小さな一歩が、私たちの未来を変えていく力になると信じています。
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