ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、「スローフードの母」と呼ばれる米国人女性のアリス・ウォータースの人生に焦点を当ててみたいと思います。

「オーガニック」「地産地消」「食育」。 今でこそ当たり前に使われるこれらの言葉ですが、その源流を辿ると、一人のアメリカ人女性の情熱に行き着きます。その名はアリス・ウォータース。彼女はアメリカで「冷凍食品ではない、地元の新鮮な食材」をレストランで提供したことで、「スローフードの母」と呼ばれています。さらに、彼女の功績は美食の世界だけではなく、荒廃した学校のアスファルトを剥がし、子供たちの手に土と種を、そして心に誇りを取り戻させた「食の革命家」でもあります。なぜ彼女の生き方は、これほどまでに世界中の人々を惹きつけるのでしょうか。今回は、その愛溢れる歩みと、彼女が提唱する「美味しい革命(Delicious Revolution)」の哲学を紐解いてみたいと思います。

物語は1960年代、アリスが学生時代に過ごしたフランスでの体験から始まります。当時のアメリカは、冷凍食品や缶詰が「豊かさの象徴」とされた時代。効率とスピードが優先され、食卓から季節の彩りが失われつつありました。そんな時代に、アリスはフランスへ留学します。そこで彼女が目にしたのは、母国とは全く異なる光景でした。人々は毎朝市場へ出向き、その日の朝に採れたばかりの泥付きの野菜や、季節の果物を買っていく。そして、家族や友人たちと食卓を囲み、何時間も語り合いながら食事を楽しむ。
季節の移ろいを舌で感じ、誰かと共に食べる喜びを分かち合う。フランスの人々にとって「食」は、単なるエネルギー補給ではなく「生きる喜びそのもの」でした。この強烈な原体験が、のちの彼女の人生を決定づけることになります。「本物の食べ物には、人を幸せにし、世界を変える力がある」。この確信を胸に帰国した彼女は、1971年、カリフォルニア州バークレーにレストラン「シェ・パニース」を開きます。
メニューは日替わりのコース一つだけ。冷凍庫での長期保存に頼らず、その朝、地元の農家が収穫したばかりの最高に美味しい食材を、シンプルに調理して出す。今で言う「ファーム・トゥ・テーブル」の先駆けとなったこの店は、アメリカの食文化に「旬」と「鮮度」という概念を取り戻しました。生産者の顔が見える距離で食材を調達し、その土地の旬を味わうこのレストランは、瞬く間に全米の注目を集めました。
レストランでの成功にとどまることなく、アリスの情熱は、やがて教育の現場へと向かいます。その舞台となったのが、彼女の住む街にある「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア中学校」です。1995年、アリスはこの学校の前を通りかかり、衝撃を受けました。校舎は荒れ果て、校庭は一面、冷たいアスファルトと雑草に覆われていたのです。「まるで刑務所のよう。これでは子供たちに『あなたたちは大切にされていない』と言っているようなもの」。そう感じた彼女がメディアで学校の荒廃を語ったことをきっかけに、校長のニール・スミスから協力を求められ、壮大なプロジェクトが始まります。それが、約4,000平方メートルものアスファルトをすべて剥がし、土を再生するために2年間緑肥を育てたのち、有機菜園へと変えていく「エディブル・スクールヤード」の実現でした。それは、単なる農業体験ではありません。アリスが目指したのは、食事を通じた「人間性の回復」でした。

当時の学校給食は、プラスチックのトレーに乗った加工食品をわずか15分でかき込むスタイル。「まるでエサの時間だ」とアリスは嘆きます。そこで彼女は、給食の時間に「魔法」をかけます。無機質なテーブルには清潔な布のクロスを敷き、庭で摘んだ花を飾りました。そして、プラスチックではなく、陶器の皿とガラスのコップを用意したのです。周囲は反対しましたが、アリスは譲りませんでした。「子供たちに本物の食器を持たせること。それは『あなたたちを信頼している』『あなたたちは丁寧に扱われるべき大切な存在だよ』というメッセージなのです」。
美しい食卓で、自分たちが育てた野菜を、仲間と語らいながら食べる。その時、食事は単なる空腹を満たすことから、心を満たす儀式へと変わりました。やがて子供たちは自尊心を取り戻し、学校の雰囲気は劇的に変わっていきました。
アリス・ウォータースのこうした歩みは高く評価され、全米人文科学勲章をはじめ、ジェームズ・ビアード賞最優秀シェフ賞など、数々の栄誉を受けてきました。アリスは、80歳を超えた今もこう語り続けています。「私たちが毎日何を選んで食べるか。その一票が、未来の農業を決め、地球の環境を決めるのです。食べることは、政治的な行為なのです」。
さて、今回は彼女の活動のほんの一部を紹介しましたが、アリスが最もこだわったことの一つは、「何を守り、何をどのように食べるか」という環境づくりでした。アリスが学校の校庭からアスファルトを剥がしたように、日々の忙しさで覆われた心のアスファルトを少しだけ剥がしてみましょう。そこにはきっと、忘れかけていた「生きる喜び」という種が眠っているはずです。
■参考資料:
・ユナイテッドピープル 映画『食べることは生きること ~アリス・ウォータースのおいしい革命~』公式HP https://unitedpeople.jp/alice/
・ウィキペディア「アリス・ウォータース」
・一般社団法人 エディブル・スクールヤード・ジャパンHP
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