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ライフジャーナル(大類久隆)

あらゆる固定観念から離れてみよう

2022.07.12

ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、真の男女平等について考えていきます。


あらゆる固定観念から離れてみよう

世間の常識を一度疑ってみる
女性が幸せになることが未来への鍵

以前、特別定額給付金の議論が国会で始まったとき、ある国会議員が「働かざる者食うべからず」とツイートしたのですが、実はこの言葉は元々違う意味で使われていました。この「働かざる者」とは一般庶民の不真面目で働かない人を指すのではなくて、ソ連時代にウラジミール・レーニンが、貴族など不労所得で生活する人々に対する戒めのスローガンとして使われていたものです。当時の社会主義国の労働者にとって王族や貴族は敵だったわけですから、君主制に反対するスローガンとして使われていた言葉であったという事です。働きたくても働けない状況下でこんな発言をする議員の見識を疑いますが、言葉の使い方自体も間違っていますし、「本分を果たせない者食うべからず」とその議員に言ってあげたいですね。

欧米では、特に肉体労働を伴う仕事を「労苦」と捉える傾向があります。地主などの不労所得者や奴隷制の歴史的背景から見てもいかにして労苦を伴うことなく利益を最大化するかが関心事であり、知的労働と肉体労働を明確に分けて考える傾向があります。仕事そのものを、出来るだけ合理的に進めようとすることも、それが理由だと思います。また、それだけに経営者と労働者の対立が目立ち極端な思想が育ちやすいのかも知れません。

一方日本では、あまり労働そのものを「労苦」として捉えていない気がします。農耕民族であった名残からか調和や協調性を重視しているため、もちろん辛い仕事は昔からあったでしょうが、社会的に職種や立場ではっきりとしたヒエラルキーのような支配構造が定まっていても、庶民の間では意外に曖昧だったのではと考えています。このように歴史的背景や文化が違う国が、同じ資本主義経済で繋がっていること自体に無理があるのかも知れませんね。

近年日本でも家賃収入や株式投資などの不労所得で生活することに多くの人が憧れる時代になっていますが、問題は本業だけで食べていけないことなのです。それだけに仕事や働き方に対する考え方以上に、「本来の生き方とは何か」に焦点を当てるべきでしょう。

しかし、これだけ景気が長期に渡って低迷し、給与が上がらない状況が続くと、当然ながら共働き世帯が増えます。その影響か女性を揶揄する発言や男女の対立を煽るかのような記事が目立つようになりました。女性の社会進出を拒む習慣や仕組みがいまだに多く存在することに驚くのですが、私の見解として、この社会はまったく女性に優しくないと考えています。日本でも法的には十分に平等になっているという意見も聞きますが、ここでの平等とは、あくまでも男性と比較してのことなので、むしろ比較できない部分の方が重要だと思っています。つまり平等と言っている限りまだ程遠いという事です。

以前のコラムにも少し触れたことがあったのですが、世界の多くの宗教は、長い歴史の中で女性を徹底的に劣った存在として伝えてきました。なぜ世界中の宗教がこれほどまでに女性を蔑ろにしたのかは謎なのですが、ひとつの推測として、男性の宗教家や支配的地位にいた者が、自分の立場や利益を守るために才能ある多くの女性を恐れたのでは、という推論を述べました。

その古い観念が西洋を中心として根深く残っていると考えていますが、それまで男女の関係性が比較的自由であった日本も明治時代以降は、国の政策として西洋を倣い「女性は子供を産み育て家庭を守る」ことが美徳であるようにスローガン化されました。一見すると理想的な家庭を推奨しているかのような表現ですが、真の目的は富国強兵であり、戦争をするための準備として「妻は家庭を守り夫を助ける存在である」というもっともらしい観念を定着させました。もちろん、主婦としての喜びを感じる人もいるでしょうが、男性中心で動く社会で都合よく利用されたのです。日本は明治時代以前、男女の役割や働き方はとても柔軟で自由な関係性であったと言われています。それが、明らかに男尊女卑の考え方に傾き、家庭に居なさいと言われ子供を育て、経済的には働かざるを得ないのですから、社会的な構造として無理があります。

何が言いたいかというと、働き方や仕事を取り巻く環境が、時代とともに変わりながらも女性の位置付けが相変わらずとても低いということ。それが男性中心に作られた社会の中に無理やり引っ張り出されて、平等であるかのような空気にとても違和感があります。それが当たり前という社会は、実は都合よく作られた固定観念でしかありません。また、その前提で男女の対立があるかのような報道や記事は、発展的でなく、意味をなさないと思います。

これから必要な議論は、単純に男女の役割や立場の比較ではなく「男性性と女性性」を理解してどうバランスを取るかになります。男性にも女性性の要素があり、女性にも男性性の要素があります。ここを自身の中で感じ取り、皆で理解し合わないと理想的な環境や社会は望めないでしょう。単純に男性はこうならねばならぬとか女性はこうならねばならぬという固定観念は、一度すべて外して考えることが大切です。女性がもっと働きやすい生きやすい社会、言い換えれば女性性を尊重した社会を作ることが、より明るい未来への大きな鍵になると思います。


文:類 久隆
ナチュラル・ハーモニーの商品部担当。
とにかく何でも調べるのが大好きです。
自称、社内一の食品オタク。
食べることも忘れて日夜奮闘中……?

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