長野県安曇野市 山田 憲吾さん 「旅する根っこ」 | ナチュラル・ハーモニー
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つくり手紹介

生産者

長野県安曇野市 山田 憲吾さん 「旅する根っこ」

2018.07.26

山田 憲吾さん…1978年福島県生まれ。2012年、東日本大震災を機に長野県安曇野市へ移住し新規就農。「安曇野・森の菜の会」を立ち上げる。地域で自然栽培に取り組む生産者を束ね、野菜の流通のほか、自然栽培の素材を使用した加工品の製造にも取り組んでいる。

 安曇野で迎える3度目の春がきた。

 ジュースやケチャップの製造へ向け、約5,000株のトマトの自然栽培を予定している。苗はビニールのトンネルで覆われ、さらにゴザが覆いかぶさっている。5月上旬にも関わらず、朝の気温は0℃を下回ると予報がでていたことを思い出す。

「このくらいじゃないと冷え込みで苗がやられちゃうんです。それにこの畑では天気のいい日に竜巻が起こりやすいから、油断するとすぐあちこちに飛んでいっちゃうんですよ」

 日が落ちた畑に凍えるほどの風が吹き始めた。遠慮なしに繰り返される大地の洗礼。それさえも笑い飛ばすように、山田さんの声は明るく弾んでいた。

 小学校3年生のときに小児性腎炎という病気にかかった。安静を強いられ、約1年間の入院から、食事や運動を制限される生活が始まった。

「薬は飲まなきゃいけないし、ごはんは美味しくないし、勉強はわからなくなるし。だけど小さいながらに、自分の生き方を模索する機会にはなりましたね。それに病院が退屈すぎて、有り余るエネルギーをどうやって発散するか工夫し始めました。音楽、絵、パズル、プラモデル。身体を動かすのも楽しかったけどインドアで完結する充実感を見つけたんです」。回復と並行し、ものづくりの楽しむ事は山田さんの一部となっていった。

 東京の専門学校を経て、広告製作会社に就職。デザイナー兼ディレクターとして活躍する。

「不摂生で不規則な生活でした。そんな日常に疑問を持っていたとき、サーフィンを始めて海に通うようになり体力のなさを痛感しましたね。その体験があって、食生活を見直そうと思いました。次第に食材を選ぶうえでも、農薬のことなどを調べるようになったんです」
 
食の大切さに気付き、自然に則した生き方を模索するなかで、田畑に関わるのが自然だと感じ、東京での生活に区切りをつけた。

 地元福島に帰り、製作の仕事をする傍ら、農家を訪ね回るようになった。
 消費者としての訪問しているうちに、いつしか販売を頼まれるようにもなり、野菜の流通を始めた。

「最初の月なんて利益は600円でしたよ。だけど続けていると売り場を提供してくれる人が現れてマルシェをやらせてもらえるようになったり、徐々に売上も伸びていきました。自分の仕事によって無農薬で取り組む人が地元に増えていけばと思っていたんです」

 野菜の流通も成長しつつあった2011年、試練が重たくのしかかる。東日本大震災。順風満帆と思えた生活が足元から揺さぶられ、なぎ倒れた。

 野菜を売らせてもらっていた店や商品の在庫も壊滅した。再開の見通しも立たない。そして地震の後も引き続き聞こえてくる不穏な情報に、どうしていいかわからない状況が続いた。

 福島を離れ、住む場所を求めて全国を転々とした。そんな折、身寄りもあてもない安曇野に流れ着く。再出発を余儀なくされていたが、仰ぎ見た雄大な山々の力強さにふるいたたされた。
 幸運にも移住を考えていた農家から畑と田んぼを譲り受ける機会を得た。8年間農薬と肥料を使っていない圃場。願ってもない巡り合わせだった。

 そして安曇野にも、自然栽培をしながらも販売に苦労する生産者がいた。地域の可能性を引き出したい。喜びをつなげたい。山田さんの役割は、別の場所に移り住んでも変わらなかった。

「田畑で生産するだけじゃなくて、素材を活かす食べ方のほかにも、衣食住を通して自然の流れに沿う心地よさを提案していきたい。すべて自分で作るのもひとつの選択肢ですが、ここには意識の高い生産者や蔵元が多い。それぞれの立ち位置で関わっていければもっとおもしろい場所になっていくと感じましたね」

 畑の隅には植えられたばかりのリンゴの苗木があった。いずれこの場所を果樹園にして自然栽培の果物を流通したいと植えたものだ。

「最初の出荷ができるまで最低5年はかかりますね」
 新しい葉をつけたばかりの一年生に力強くも優しいまなざしを向けた。

「自分は、いつも壁に当たったときにこそ、変化し、順応し、飛躍してきたような気がします。古い枝葉は枯れてしまっても、自然と新芽を芽吹かせる。自分もつくづくそうありたいものだなと思います」

 就農2年目の若木には、立派な根を張る巨木のような揺るぎなさがあった。

※2013年6月に作成した記事です。

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★山田さんのトマトでつくったジュース紹介
「旨みがすごい『自然栽培トマトジュース』vol.1 まるで『気軽に飲める冷製スープ』
https://naturalharmony.co.jp/tomatojuice01/

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このコラムを書いた人

髙橋 寛幸

お米担当。栽培管理から精米まで、お米に関わる事はなんでもやってます。タダモノではない植物「稲」について、あーだこーだと自然栽培農家と話すのが至福の時間。

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