【スタッフブログ】音楽から紐解く自然との調和④ | ナチュラル・ハーモニー
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宅配より

宅配より

【スタッフブログ】音楽から紐解く自然との調和④

2019.10.26

こんにちは。
ナチュラル・ハーモニーの宅配 石川です。

今回の記事は音楽編の4回目になります。
音楽編は最後となりますのでもくじをつくりました。

<もくじ>

音楽から紐解く自然との調和①はこちら
<音楽の語源>

音楽から紐解く自然との調和②はこちら
<音楽の要素と天使の声(倍音)>

音楽から紐解く自然との調和③はこちら
<楽器から大きな音が出る理由(共鳴)と電気信号になった音>

音楽から紐解く自然との調和④
<調和と音楽の奇跡>はこのページです

前回はマイクを通して電気信号に変換された音楽に
ついて主に書きましたが、今回は自然な、生の楽器の
音楽から得られるものについて書いてまいります。


○自然と調和するコンサート

クラシックのコンサートは音の反響を計算して設計された
専用のコンサートホールで演奏されることが多く、
スピーカーなどを一切通さない完全に生の、
自然な音楽を聴くことが出来ます。

私は特にオーケストラが好きで、
よくコンサートに足を運ぶのですが、
多い時には百を超える楽団員たちが
息を合わせて一つの音楽、ハーモニーを
奏でる様に圧倒されることもしばしばです。

またオーケストラの凄いところは、
それぞれの奏者が個々の演奏を行っているのに
一つの音楽として成り立ち、それどころか完全に
調和しているところです。

以前とある指揮者がリハーサルの時に
「前から三番目の左のバイオリニストの音が素晴らしい」
と言っていたことがありました。

同じ音楽(リズム・音程)、楽器を奏でていても明確に個性があるのです。

ただ彼らはプロなので絶え間なく研鑽を積み上げ、
物凄い技術を得た上での、とてもハイレベルな個性なので、
一般的に言われる人の持つ個性とは違います。

調和というのはただ単に同一に溶け合う事ではありません。
それぞれの個性を活かしつつも、全体の一部として力を発揮し、
美しい、あるいは素晴らしいものをつくり上げることを言います。

オーケストラとは逆に、軍隊などではそれぞれの個性を殺し、
従わせることによって足並みをそろえる場合がありますが、
一見すると統率がとれていて調和しているかのように
見えますが、まったく違います。これは調和ではなく支配です。

完全な調和のもとに奏でられた演奏は、
時に奇跡的な体験をもたらしてくれることがあります。

数年前に私がオーケストラのコンサートを聴いた
後に書いた、ブログ的な文章の抜粋を載せます。
曲はブラームスの交響曲1番です

・・・・・・・・・・・・・・・・

4楽章形式の曲で、第1楽章は弦楽器の悲痛なメロディーと
ティンパニー(太鼓)の音が重なって重苦しくゆっくりと始まります。
苦悩が痛切に感じられます。

そして2楽章は長調ながらもそこまで明るいわけではなく、
しかし穏やかで美しいメロディーが流れます。

特にバイオリンのソロと、
ビブラートが軽くかかった、歌い上げるようなフルートの
ソロが余りに美しく、思わず天を見上げました。
※コンサートホールは天井がとても高いです。

そして3楽章はその穏やかさから違和感無く4楽章へ
入るためのつなぎとなり、ほぼノンストップで4楽章へと突入します。
※楽章と楽章の間は基本的に一呼吸入れます。例外もあります。

4楽章は最初暗く重く始まりますが、突如、
目の前が開けたかのように明るいテーマが流れます。
さらにそこから音はどんどんと加速し、盛り上がっていきます。

そしてたまりにたまったエネルギーを全て開放するかのように、
指揮者が両手を思い切り広げた瞬間!

私は嗚咽を漏らしながら号泣していました。
別に悲しいわけでも嬉しいわけでもないのに、
涙が溢れて止まらないのです。理屈ではない。
もはや「魂が震えた」としか表現できない。
そんな感覚でした。

オケからは、ものすごい音が鳴っていました。

そして全ての音が鳴り止んだ瞬間。
わたしは大声で「ブラボー!!」と叫んでいました。

素晴らしい演奏でした。奇跡としか言いようがありません。
こんな感動はめったに味わえるものではありません。

さらに不思議なのが、演奏後、体の奥底から生命力というか、
エネルギー的な何かが湧き出て来るような感覚になったことです。
ものすごく元気になっていました。音楽、マジすげえ……。

・・・・・・・・・・・・・・・・

もう当時の事をよく覚えておらず、
感情と興奮がごちゃまぜになったこの文章を
ここに記載するのは正直顔から火が噴き出そうなほど
恥ずかしいのですが、あえてそのまま載せました。
(※注釈は追記しました)

今冷静に当時の文章を分析して、
注目すべきところは以下の部分です↓
『別に悲しいわけでも嬉しいわけでもないのに、
涙が溢れて止まらないのです。理屈ではない。
もはや「魂が震えた」としか表現できない。』

実はオーケストラのコンサートを聴きに行くと、
こんな感じで、何の感情も抱いていないのに
物凄い感動して涙が止まらなくなることがあります。

ただオーケストラのコンサートには何十回と足を運んでいますが、
ここまで凄い感動はこの時と、あとはキャンディードという
オペラとミュージカルの中間的な舞台のフィナーレで流れる
「Make Our Garden Grow(訳:私たちの畑を耕そう)」という
曲を聴いた時の2回だけです。

どちらも指揮者は「佐○ 裕」という方でした。
この人はまぎれもなく天才です。

また当たり前ですがこのような感動はCD等の
録音音源から得られたことは一度もありません。

映画や小説のストーリーに感情が揺さぶられる感動とは
まったく違った種類の、よくわからない感動です。
私はこれを「魂が震える感動」と定義しています。

そして、あえてこの感動に近い感動を挙げるならば、
富士山の山頂でご来光を拝した時です


↑今年(2019年)の9月8日に富士山頂(剣ヶ峰)から撮った写真です。

この時は涙がこぼれるということは無かったのですが、
別に嬉しくも悲しくもないのにこの光景を目の当たりにして
物凄く感動していたことを覚えています。

私の経験からこの手の「魂の震える感動」を得るための
条件を分析してみました。

①自然現象である。

 この条件はたぶん必須です。
 人工物でこの手の感動が得られたことはありません。
 ただ、芸術作品(絵画など)であればありえるかもしれません。
 しかし人の思いが強く反映された作品の場合は、
 感情が先に揺さぶられてしまい、
 純粋な魂の震える感動に達しません。 

②半端で無く美しい。あるいは素晴らしい。

 音楽であれば楽曲が作品として素晴らしいものでなければ、
 いくら生の楽器を使用していても魂は震えません。
 演奏技術も高くなければ厳しいと思います。
 またその時の指揮者や奏者のコンディションなどにも
 左右されるので、こればっかりは運になります。

 富士山の光景は人の手の介在もなく、
 空気も澄んでいて美しいので問答無用でクリアです。
 (晴れれば。結局は運かも)

 

 前回データにしてしまうと自然の奇跡は失われてしまうと書きましたが、
 美しい自然の写真からは奇跡の片鱗が垣間見えますね。
 (とはいえ拡大するとやっぱり四角い点の集合で、
 実際の景色はもっともっと美しいですが)

 ただ、山の頂などでみられる美しい光景から得られる感動は、
 眺めていると、なんだかよくわからないけれど、目の端から涙が
 「ツー」と流れて「ああ、自分って自然の一部なんだ」と実感するような
 しみじみとした感動の場合が多いと思います。

 一方、音楽から得られる感動は、なんだかわからないけれど、
 体の内側からどんどんエネルギーが溢れて本当に魂が震えているような、
 涙も溢れて溢れて止まらないような、激しい感動が起こります。

 これは音楽を奏でる際に発生する倍音や共鳴という現象の無限性が、
 際限なく魂、あるいは精神を共鳴させ、震えさせるためではないかと
 私は分析しています。

 「音楽の美しさに際限はありません」という言葉があるのですが、
 これはまさに音楽の本質、自然界の真理をズバリと言い表した、
 この上なく的確な表現だと感服してしまいました。 
 

③自分の意思が希薄になるほど集中している。
 
 素晴らしい音楽は聞けば聞くほどのめりこんでいって、
 時を忘れるほど集中してしまいます。
 美しい光景も目の当たりにするとやはり見入ってしまいます。

 ただし同じ音楽を聴いたり、光景を見たりしても、
 全ての人が同じように感動するわけではありません。
 
 実際ブラームスを聴いた時も隣の人は涙を流しては
 いませんでした。これは音楽がどれだけ好きで
 のめりこめるかや、今の自分の体のコンディションや、
 これまで生きてきた中での経験や性格(人間性)などが
 複合的にかかわってくるのかなと思います。 

 なのでコンサートに行く日は、例えば平日の場合は
 夜の公演が多いので昼寝をしておいたりと、
 とにかく体調を万全にして聴きに行くようにしています。

ということで、魂が震えるような感動を得られる条件は
大変シビアでなかなか体験できるようなことではありません。

でもクラシックに携わる、クラシックが大好きな人は
何度かはこのような経験をしているものと思われます。

またこの感動を私は「魂が震える」と表現していますが、
自我が薄くなって自然現象に共鳴して感動が起こるので、
おそらく精神、あるいは魂が自然と一体化している、
つまりは調和している状態なのではないかと考えています。

「③自分の意思が希薄になるほど集中する」という条件は、
精神を統一し、純粋にして、自然と一体化し、調和するのに
必要な条件なのではないかと考えています。

自然を際限なく純粋で美しいものであるとするならば、
おそらく自我や感情が邪魔(濁り)となるのでしょう。

「音楽家は神の存在を垣間見せる聖職者である」

という言葉があります。
この言葉のとおり、音楽には自然(神)と魂を
調和させる力があるのだと私は信じています。

ナチュラル・ハーモニーの宅配 お客様サポート 石川 裕貴

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