ナチュラルハーモニーの食材や食品をつくる
つくりてに話を伺いました。
#02 千葉県富里市高橋 博さん
今も自分を突き動かす30年前に出会った自然栽培
「お父さんは自然栽培を広めることにすっごく真剣。ちょっとやそっとじゃブレない信念と根性持ってる。
ま、家族からするとただのガンコな人だって思う時もあるけどね」公私に渡る相棒・高橋とめ子さんは笑った。
50年近い経験の賜物か。揺るがない安定感がある。だが「小さいころは人前でたら真っ赤になっちゃってたんだ。ばあちゃんの足につかまって後ろに隠れてな」と意外な一面もある。
高度経済成長期の競争原理の風は、田舎の農村にも吹き荒れた。「我よし、我よしの時代だった。心を捨ててモノを手に入れたんだよ」。きれいごとをいおうものなら、まだまだ子供だなと揶揄された。
我慢した。我慢したというより一生懸命汚れる努力をした。しかし、どうも納得がいかない。良心が耳元でささやく。一生それだぞ。それでいいのか。「俺の人生それで終わるならいやだぁってなったわけだ」
結婚して3年、28歳の時「子供ふたりいたけど農業やめてこの地域から出るぞ」と家族会議で離農を決めた。それから7日とたたぬうちに、突然の来訪を受ける。高橋さんの人生を決定づけた師との出会いだった。自然農法というものについて話したいといった。「できるわけねえよ、あんた。肥料も農薬もやって、10年さんざんやってきていろいろ起こってんだから。できるわけねえよ」。一蹴した。が、まあどうか話だけは、と引き下がらない。そこで、話だけは聞いてみた。チョーク片手に熱く説明する。衝撃が走った。「こりゃあすげえぞって思った。このすさんだ世の中、いまの若者はどうやって生きるかそのことで苦しんでるんだ。あんた、すげえな。あんたっていったよ」
「これでもかってありとあらゆることをやった。とにかく農家だから昼は農作業あるんで、夜を使って勉強やったり色んな話をしたんだよ。いくら夜中までしゃべっても、次の日も普通に朝から農作業がある。完全にまいるよ、3日も続くと」 気づいたら不安とは遠縁になっていた。自然界は、人間都合の時間軸だけでは如何ともしがたい。種も土も人が育つのも時間はかかるんだ、と自然栽培を通して実感した。「自然を観てると時間が必要だってわかるから心に余裕が持てるようになったよ」 高橋さんの学んだものは普遍的な自然=宇宙の原理原則ともいえる。だから応用が効くのだろう。「原理原則をどこで知るかっていうと、自然栽培のなかにヒントがあると思う。農業だけじゃなくて、あらゆる分野で使える原理原則。原点に、本来に戻る。やってみるといいよ」
あの時の感動が、30年以上たった今も高橋さんの歩みを支える原動力となっている。
高橋さんにはずっと自然栽培を普及したいという夢がある。「考え方を日本や世界中に普及したい。農業技術だけじゃなく考え方もね。農業の世界だけが変わったとしてもしょうがないでしょう」
自然の流れに身をまかせつつ、ただ待っているだけではない。「焦らず急ごうの精神」で高橋さんは行く。
「自分だけ、違いますよ、いいことしてますよっていったって、人はなかなか認めてくれないよ」。社会の一員ということを忘れず、できることを探して実践するのが夢を叶える一番の近道かもしれない。
趣味はヘラブナ釣り。うき1本に集中し頭を休めに行く。「けど、仕事よりもその集中のほうが疲れるなあ。こんなこといったら『そんなら行かなきゃいいのに』って母ちゃんに怒られるか(笑)」。人前で話す時とは異なる一面を見せてくれた。
高橋さんの概念を壊した一つに人参とその自家採種がある。理想の姿形に揃うまで8年の歳月を要した。フルーツのように甘いその人参は、フルーティ人参として流通している。
種に命を宿すため、純白な花々が初夏の畑で咲き誇っていた。散りゆく花あれば咲きほこる花あり。尊き自然を背景に、繰り返される生命の進化がある。