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生産者

熊本県菊池市 亀川 直之さん 「憧れの場所に立つ」

2018.01.07

亀川 直之さん…1973年東京都町田市出身。会社員の頃からアウトドア好きで、スキーや釣りが趣味。移住後も、山にニジマスや山女魚を釣りに行く。奥さまと10歳の娘さんの3人家族。


台風が翌日通過するという予報の日、亀川 直之さんの畑を訪問した。
水分をたっぷり含んだ空気を分けて進む。時折吹く突風にも動じない、太い幹をまっすぐに伸ばしたオクラの森が広がっている。可憐な淡黄色の花びらは、この蒸し暑さの中でもしっかり蕾をひらいている。アフリカ原産で、熱帯気候においては多年生というのも納得できる、たくましい姿だ。

「この辺りだと、夏の盛りに育つ野菜が本当に少ないんです。茄子やトマトといった代表的な夏野菜でさえ、日に焼けてしまって育たないくらい。端境期みたいな感じでしょうか」

亀川さんは東京都出身。2012年、家族と共に熊本県菊池市に移住した。
工業高校を卒業し、理系の大学に進学。就職した電機メーカーでは半導体の開発に携わり、土とは無縁の道を歩んできた。
「興味のある分野ではあったんですが、敷かれたレールの上をなんとなく進んでいるような感覚の人生でしたね」会社員時代を振り返る。「仕事は仕事。休みは休み」と割り切っていた亀川さんも、部下がつくようになると責任感も増し、仕事にのめり込んだ。

ある時、本屋で木村 秋則氏や河名 秀郎の著書に出会う。自然栽培という存在を知り、生命の神秘・肥料なしでも作物が育つことに大きな衝撃を受けた。それをきっかけに、食や農について日々考えはじめるようになった。実際食生活に気を配ると、体調が大きく改善していった。食というものが人間の根幹なのだということを実感した。いつか食や農に関わってゆきたいという思いにふけるようになっていった。
興味の先、「土」に触れる機会を持つために、畑ツアーや農業セミナーに参加するようにもなった。ただ、憧れは漠然としていて、自分が実際に農業に関わる姿までは想像しきれなかった。

「移住しよう」。亀川さんの淡い夢を後押ししてくれたのは、奥さまだった。
「田舎って住む場所じゃなくて遊びに行く感覚。自分が住むだなんて考えもしなかったです。でも迷っていても決まらないし、勢いでしたね」
就農するなら営農に有利な農業の盛んな場所、かつ水の良いところという条件にあてはまったのが熊本県菊池市だった。阿蘇外輪山を源流とした豊富な湧水に恵まれた環境。農業の研修先だけを決め、縁もゆかりもない土地に家族3人で移住した。移住を決意してから半年後のことだ。

鉄工所に勤務しながら農業研修を受け、自分で実践するために畑も借りた。借りた畑は70年以上耕作した歴史のある場所だったが、表面は客土(他所から土を搬入すること)されていた。どんな種を蒔いても育たない。農家が土づくりのためにつかうソルゴーやエンバクといった緑肥植物を蒔いても状況は変わらず、頭を抱えた。

「とにかく緑肥を蒔けば土づくりができて、野菜が育つようになると思っていたんです。でも一向に土が変わらなくて。半ばやけになって年4回も(緑肥を)蒔きましたね」
自分なりに勉強してきたつもりだったが、目の前で実際に起こることが理解できなかった。
「現実は違う」。同時に、就農する前の自分は守られた環境の中で生きていたのだと思い知らされた。安定した給与と休日に、十分な待遇。お正月やお盆は海外旅行。いかに東京のサラリーマンが恵まれているのかがわかった。

就農するために移住したのに、作物が実らない。収入も安定しない状況で、本当にやっていけるのか。いつも不安に押しつぶされそうになっていた。
自然栽培という憧れの農業に取り組み、夢を叶えようと必死だった。しかし経験もなく、自分のできるアプローチは限られている。完ぺきを目指す努力は、知らず知らずのうちに自分を追い込んでいった。

「こだわりがほとんど執着に変わってしまっていたんでしょうね。それがおかしな方向に行っちゃった。でも、自分は移住者で新規就農者。コネもない。だったら自分の立場を理解しようと。『こだわりすぎない』ことにこだわろうと決めたんです」

土地といった資産のない分、かえって身軽。自分の食べる分を稼げればいい。そう思えるようになると、気持ちが切り替わった。
最初に借りた畑では苦戦を強いられたが、2番目の土地は作土も深く、何を蒔いてもよく育って美味しい野菜が実ってくれた。この場所を支えに、常に作物と経営のことを考えて土に向かった。最初の畑ではオクラが育つことがわかり、成果も少しずつ出るようになった。

「自然界と植物の生態ってまだ解明されていないだけで、実は科学のかたまりですよね。何百年後にはすべてのメカニズムは解明されると思うんです。わかってしまえばきっとすごくシンプルな仕組みや構造なんだろうけど。でも今は自然は神秘のかたまり。そこに向かうのが面白いんです」

順調に収穫した痕跡があるオクラも、今年は発芽率が悪く、何度も種を蒔き直したそうだ。
「最初の畑で苦戦して色々試すことができて良かったんだと思います。それでも毎年何かしら驚かされますね。これなら大丈夫だろうと万全に備えたつもりでも、思いもよらないアクシデントが起こる。自分の中にまだまだ色んな思い込みがあるんでしょうね」

元気に育つオクラは夏の主力作物だ。また、阿蘇の豊富な湧き水を利用してクレソン栽培も始めた。今後長期収穫を目指しているいんげんもある。これら看板作物に加え、彩り豊かな西洋野菜を、あわせて一町歩ほどの面積で育てている。

雨が降れば、作業がなくなるかわりに卸先のレストランを訪問して食事をする。研修を受けていた農家が飲食店向けに野菜を卸販売していたことから、自分もそのつてでレストランに野菜を卸すようになった。自分で配達して野菜の味を見てもらったり、野菜談義に花を咲かすのは至福の時だ。
「市場価格に振り回される農家も苦しいと思うんですが、人口の少ない田舎で飲食店経営するシェフたちも大変だと思うんです。素材にこだわったりしたらなおさらのこと。微々たるものですが、自分がいただいた利益をそんな場所に還元していきたいんです。人脈に恵まれて今があるので、人の役に立てればと思いますね」

亀川さんはフードラボという社団法人に所属し、地域の農家やレストランのシェフ達と共に、熊本発の流通を立ち上げる取り組みにも参加している。

「今までシェルターの中で暮らしていた。あんなところにいたら普通は抜けられないです。でも、サラリーマンに戻りたいと思ったことは一度もないですね。今は自分がどこを目指すのも自由。目標がいくら高くても構わないんです。就農は思い切った選択でしたが、本当に良かった!」
365日毎日課題があり、やることが尽きない。そこが面白い部分だと誇らしげに語る。

「虫も付かずにきれいだね、って近所の人に言ってもらえるんですけど、それは毎日手で取っているからなんですよ。もう大変です(笑)」
苦笑いしながら収穫と並行してオクラの葉に付く葉捲虫を一つひとつ丁寧に落とす亀川さん。その作業さえも慈しんでいるように見えた。


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