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ライフジャーナル(大類久隆)

自然との調和ってなんなの?

2020.01.29

ハーモニックライフ(調和する生き方)という観点から、ナチュラル・ハーモニーの商品部スタッフ、大類(おおるい)が世の中について考察するライフジャーナル。
今回は、本当の意味での調和とは何かを考えました。


自然との調和ってなんなの?

ある疑問から湧いてくる本当の調和とは

私たちは日ごろから「これからの時代は、自然と調和して生きることが大切」とお伝えしていますが、ある意見の中には「確かに理屈では分かるけど、実際のところ社会は逆行しているように見えるし、自分や家族はそれに心がけて生活しているけど、社会とどう折り合いをつけたらいいのだろう」そう思っている方や「本音を言うと自分だけが努力しても、社会はそんなに変わらないのかなと思う」という現実社会との関係性で、ちょっと諦めムードのような声を聞くことがあります。

もちろん、「みんな聖人君子のようになって社会のために奉仕しましょう!」とまでは言いません(笑)

確かに過度な競争社会が大きな格差を生み出して、世界人口のたった1%の富裕層が世界中の富の大半を保有している時代です。環境は悪化して地域によっては取り返しのつかないところまで来ている。分かっちゃいるけど、それでも庶民は生活のため働き続けなければならないし自分のことで精一杯という状況。ところが、ある意見として「それもひっくるめて自然なのではないか?」とか「実際、動物の世界は弱肉強食だし弱いものは淘汰されるじゃないか、人間も同じなのでは?」という声があります。この社会の仕組みも自然の一部である人間がつくったものであり進化の途上として、容認すべきだという意見なのですね。

皆さんはどう思われるでしょうか?まず、自然界のひとつの側面として当然厳しい環境もあります。人間にとって都合の良いことばかりではないですよね。大自然という広い視野に立てば過酷な環境も含めて受け入れていく必要があるのも確かです。ただ人間がつくり出した社会の経済の仕組みまで、自然の側面であるから受け入れなければいけない、という理屈は間違った認識に基づいています。

人間は経済活動において自己の欲望や利益を最大限追求し、その結果、国民の間で熾烈な生存競争が起きて自然淘汰されることも含めて自然の摂理であり進化である、という考え方が、長い間西洋を中心にありました。実は、この考え方に大きい影響を与えたのは、「ダーウィンの進化論」なのです。とはいってもダーウィン自身が自由主義経済みたいなものを推奨したことなど一度もありませんでした。進化論の中で語られている「適者生存」や「優勝劣敗」という考え方を、後の社会学者や経済学者らが曲解して自由主義経済の論理に都合よく当てはめてきたというわけです。これを「社会ダーウィニズム」と言います。

これによって人間同士の生存競争を強化して「弱肉強食」の世界をつくり出し、強い者が弱い者を統治するという「植民地政策」を正当化し、優秀な人間を残して劣った者を間引きするという忌まわしい「優生思想」が確立されました。このような極端な考え方が100年以上にわたって西洋を中心とした国の根底に流れていて、現代の「新自由主義」という極端な市場原理主義につながっているということです。

つまり、企業の利益のためなら何でもありで、国家でさえ口を出すべきではないという考え方です。これほどエゴイズムを増大させていく社会が、自然であるという論理には到底理解し難いものがありますが、例外なく日本もその大きな流れの中で揺れ動いてきたのです。近年では日本も能力主義を掲げる企業が増えて、従来からあった終身雇用制度が大きく崩れつつあるのもそのひとつの表れなのです。

さて、ここで「社会ダーウィニズム」を信奉する人々が根拠のひとつとしている、動物は弱肉強食であるから人間も同じであって良い、という理屈について、霊長学者の立場で真っ向から反対した人物がいます。彼は同時に前述したような進化論という生物学をダシにして、個人や企業の利益を優先させるために都合よく利用されたことに大きな憤りを感じ、自身の研究結果とともに行き過ぎた競争社会に警鐘を鳴らしています。

オランダ出身のフランス・ドゥ・ヴァールという動物行動学者であり、霊長類の研究では世界第一人者でもあります。著者が長年の研究の中で猿をはじめとしてあらゆる動物の行動を研究する中で、行き着いた結論は動物たちが時として凶暴で粗野であり、自らの生存のための利益を得るためだけに生きているかのような理解は、まったくの誤解であると言っています。むしろ、人間以上に愛情深く他者を思いやる心や感情を持ち、同じ仲間たちに同情することや遠慮することさえあるという、私たちが思う以上に高度な社会性を備えているということです。

例えばチンパンジーは時として暴力的な行動を取ると言われていますが、集団の中で権力争いが起こるとき、実は儀礼的に行っていることが多いとのこと。つまり本気で争うのではなく、一種の形式的な行動によって余計な怒りや恐怖という感情を発散してバランスを取っているのです。確かに動物たちは人間よりも本能的に生きていますから、より感情をストレートに表現します。しかし逆に争いが過剰になりそうなとき、それを回避するため仲裁や仲直りの行動を起こしてバランスを取ろうとします。また、肉食動物が他の動物を守ろうとすることや、他の動物の子供を育てる行為など、私たちが知りえない動物たちの高い社会性を垣間見ることが出来ます。

このような事例が沢山紹介されているのですが、著者が一貫して訴えていることは、すべての動物たちに共通している特性は「共感」であるとしています。その共感がなければ動物たちの存続も進化もなかったであろう、という話を現代の人間社会に照らし合わせて、なぜ人間が同じような社会性を身に着けられないのか、と問いつつ現代社会の利己的な面を皮肉たっぷりに表現しています。

人間社会がなぜここまで利己的で強欲になってしまったのか、著者いわく共感の欠如であるという結論ですが、まさにその通りであると思います。ただし、共感や共感性という言葉の意味をよく考えてみる必要があります。一般的には「同情」と同じように捉えられていますが、実は似ているようでまったく違う感情に根ざしています。同情とは相手の感情に合わせていること。つまり相手が落ち込んでいれば同じように落ち込み、悲しんでいれば同じように悲しむということです。一方で共感とは相手の立場や状況を考えて、心の状態をよく理解するということです。この違いが実は人間関係の中でまったく違う結果をもたらすと考えています。

相手の人生の背景や社会的に置かれた立場などを理解することで、問題の解決や改善が早まり信頼関係も高まると考えています。こう書かれていると当たり前のように思うかもしれませんが、家族や友人という親しい関係性の中では、それが成立しやすいと思います。では、外国や同じ国でも他民族同士であった場合はどうでしょう? 相手の生活習慣や宗教的背景や政治的状況をすべて考えて共感するというのは、とても難しいことです。それを理解するには、大きな労力と想像力を必要とします。

人類は長い歴史の中で国家や民族の分断を数多く経験してきました。それには想像を絶するほどの苦しみと悲しみを伴い、解決の糸口さえ見つからない絶望的な関係も存在します。このような状況が長引いてしまうひとつの原因として、一方的な限られた情報のみで他国や他民族を単純に善悪で判断してしまうことにあります。人間社会はそう単純ではありません。さらに国という単位で考えたときに自分たちを正当化しがちです。

ドゥ・ヴァールは著書の中で「他者と調和するという行為は人間に限ったものではない。しかし人間の『共感』には長い進化の歴史という裏付けがある。『共感』こそが私たちの時代の最大のテーマだ」と訴えています。

新たな時代とともに他者に共感する心から本当の意味での調和とは何かをぜひ考えてみましょう。


【参考資料】
『共感の時代へ』 フランス・ドゥ・ヴァール著 紀伊國屋書店


大類 久隆
ナチュラル・ハーモニーの商品部担当。
とにかく何でも調べるのが大好きです。
自称、社内一の食品オタク。
食べることも忘れて日夜奮闘中……?


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