秋田県大潟村 岩井 真二さん「故郷を築く」 | ナチュラル・ハーモニー
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つくり手紹介

生産者

秋田県大潟村 岩井 真二さん「故郷を築く」

2018.12.30

岩井 真二さん…1962年熊本県生まれ。大潟村自然栽培グループに所属。最近はあまり行くことができないが趣味は磯釣り。一時期は黒鯛を釣っていたことも。学生時代はずっとゴスペルを歌っていたので、メンバーさえ揃えばいつでも歌える、はず。

 北の地から届くササニシキ。やわらかな甘みと口溶けの良さは、優しく身体に溶け込み、いつも側にいてほしいと思えるお米だ。

 秋田県にある琵琶湖の次に大きい八郎潟を干拓して生まれた大潟村は、当時急務であった米の増産を図るため、入植者を集めてつくられた近代型モデル農村だ。大規模営農を夢見て、7年で580戸もの家族が全国から集まった。

 熊本県水俣市で代々農業を営む家に生まれた岩井 真二さん。八郎潟干拓事業の第3次入植の一員として、父の茂治さんが入植を決意。母・2人の妹と共に大潟村に移住した。水俣市の農協職員だった岩井さんの父は、農業研修生として米国に住んでいたこともあるほど、広大な農地とその農業経営に憧れを抱いていたそうだ。

 当時、熊本から電車を乗り継いで大潟村までやってきた岩井さん一家。一面雪に覆われた広大な干拓地を前に、小学1年生の岩井さんは圧倒された。幹線沿いに植えられた防風林の背丈もまだ低く、見たことがないくらい空が開けていた。

 できたばかりの水田に、新築の住居や学校。大潟村の小学校に通い始めた当初、学校には2~3日おきに転校生がやってきていたそうだ。同級生の長男誰もが、それぞれの家の跡継ぎとして育てられていた。
 「やっぱり農業するのが当たり前っていう環境だったからね。他のことをやりたいなんて言い出したら怒られちゃってたよ(笑)」

 中学高校は全寮制のミッションスクールに通い、進んだ大学では農学部を選択。講師として赴任してきた故 片野 学教授に師事し、農薬や化学肥料を使用しない自然農法と出会う。作物学専門の片野氏は様々な研究の傍ら、自然農法の調査活動にも、ひたむきに取り組んでいた。

 「色んな研究でものすごく忙しく働いていた方でしたね。動物の糞で肥料をつくってみようっていうことになって、ゾウやキリンといった10種類ほどの糞を動物園でもらってきてくれって言われて。すごく大変な思いをしたのに、結局忙し過ぎてその糞が使われることはなかったんだけど(笑) とても楽しい経験でしたよ」
 片野氏は農家と二人三脚で米の増収や草の研究もすすめており、岩井さんら学生を連れて度々水田を訪問した。ある時、田んぼに揺れる稲姿に心を奪われる。肥料を使わない自然農法や自然栽培では、作物の葉色が薄くなる傾向がある。稲の収穫時には、茎も葉も緑がきれいに抜けて「透き通っている」と表現されることもある。

 「その時見た稲が、本当に美しかったんだよ。稲ってこんなにきれいだったかなぁって。それだけはずっと覚えていたんだね」

 大学卒業後は海外派遣農業研修生事業を利用し、幼少期から漠然と憧れがあったという米国に渡った。
 「大潟村に入植した初代だけでなく、自分たち後継者の多くがこの制度を利用したんです。跡継ぎっていう定められたレールの上を歩みつつも、その中で自分の興味を持てる分野を模索し挑戦しようとしていたんでしょうね」。大学で半年間語学と農業の授業を受け、農場に派遣される。研修の締めくくりに、岩井さんはオレゴン州の花専門農家に一年間配属された。

 「自分の家の農業以外知らなかったから、とにかく圧倒されましたね。いち農家が栽培だけでなく流通やマーケットのシステムを確立して、育てた花木を空輸で米国全土に届ける。クリスマスには、リースといった装飾品を大型トラックで何十台も出荷したりして。スケールの違いを感じたのと同時に、農業にはこんなにも可能性があるのかという発見もできました」。その後、大潟村に戻るつもりで帰国した岩井さんだが、この研修機関にスカウトされる形で、東京の事務局に入社した。

 「当時父もまだ現役でしたし、何より自分が感じてきたことを、これから海外に渡る後輩たちにも経験してほしいなという気持ちが強かったですね」。東京に1年半、ドイツ支部に4年半勤務した後帰国。31歳だった。

 農薬による自然環境の悪化に危機感を持ち、早くから岩井さんの父親は同士たちと共に有機栽培に取り組んでいた。故郷水俣の水銀中毒の惨状を目の当たりにしたことが、安全な食の追求、ひいては有機栽培の実践に繫がった。

 農業の可能性を求めた入植者たちでつくられた大潟村では、1980年代に有機農業の取り組みが始まり、1990年に農薬の空中散布を中止。全国に先駆けて有機栽培の面積を拡大させた。大潟村は日本海から2キロほどの距離に位置し、比較的風が吹く日が多い。そのためいもち病菌が好む多湿条件が生じにくく、農薬を使わない栽培に適していた。

 15ヘクタールの水田すべて有機栽培に切り替えた時期もあった。大潟村は、堆積した魚介類や海藻類が生んだミネラル類が豊富に含まれた肥沃土壌のため、稲だけでなく草も大いに繁茂する。機械と人海戦術による除草が必須の土地だ。一時期はその除草作業が全く間に合わなくなり、結果収穫量が激減してしまうこともあった。

 「たとえ良かれと思っても、コントロールできなければかえって悪い結果を引き起こすこともあるんだね。あの時から比べて有機栽培の面積は減ったけれど、今でも父は元気に田んぼに通っています」。岩井さんはドイツから帰国後、妹夫婦・同級生と会社を立ち上げ、消費者への直接販売を本格化させた。

 自然栽培を始めるきっかけは、石山 範夫さん(※)が岩井さんの隣の田んぼを使うようになったこと。石山さんが自然栽培に挑戦していることは知っていたが、試行錯誤している姿も間近で見てきた。それでも、石山さんに誘われた時に興味をもったのは、学生時代の思い出が蘇ってきたからだった。あんな稲を育ててみたいと純粋に思った。

 取り組んで最初の3~4年は手探り状態。穂が小さく、稲が風になびくことはなかった。それが、毎年少しずつ穂が大きく充実するようになり、稲が頭を垂れる稔りの季節が楽しみになった。

 「でも、まだまだ。肥料を使わずきちんと苗が生育できるに足る育苗土をつくるのは、未だに課題ですね」
 苗床のベースとなる田んぼの土も、同じ大潟村といえど場所によって土質が大きく異なり、皆が同じものをつくることはできない。つくり手一人ひとりが年に一度の米づくりを振り返り、探求し続けていくことが必要であり、自然のしくみに学ぶ醍醐味でもある。今年で自然栽培を始めて10年目を迎えた。

 村外農家のお母さんたちも年々高齢化し、田植えや草取りといった大規模営農に欠かせない労働力の確保が年々困難になっている。今後どのような農業を展開するのか、未来をどう描くかが、いま大きな課題だという。

 「先人が積み重ねた営み=稲を育てることは、たとえ辛い時があっても誇りを持って続けていかなければいけないと思います。だから子どもに継いでほしいと思うけど、収穫の喜びだけじゃなく苦労してきた姿も見せてきたから、自分の口からはなかなか言いだせないよね」。2人の娘さんはまだ学生。将来どんな道を歩むかはまだわからない。でも、大潟村で育った子どもたちにとって、ここは大切な故郷。次の世代がいつ戻ってきても元気に働ける環境を用意しておくことが、自分の役割だと語った。

 秋に訪問した大潟村は、台風の爪痕が色濃く残っていた。開村時に植えられたポプラの巨木が根こそぎ倒れ、台風が巻き上げた海水が田んぼに吹き付け、稲にダメージを与えた。

 「厳しい年だったね。自然栽培の稲はしっかりしているから倒伏しなかったけど、かえって被害を受けたかもしれない」。今年は稲穂が出てから3度も台風がやってきた。根の張りが良く、倒伏しにくいといわれる自然栽培の稲は台風に耐えたが、茎が持ちこたえた分多くの籾が穂から落ちてしまったようだ。

 「それでも今年の米はうまいですよ。大丈夫!」。岩井さんは力強く言った。

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このコラムを書いた人

吉村 鮎

配布冊子TUMUGIの編集担当。その他こまごま制作しています。植物とうつわを集めるのが好き。大好きな自然栽培のお米がもっと広がることを願って、日々取り組んでいます。

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